単発text06_2
此処に眠る。

視点K 雨;表

<1.〜2.
刹那の恋の雷鳴は胸に永劫轟き渡る



3.

窓辺に佇み、イルカ先生は厚くて暗い雲を見ている。
「雨ですねえ。」
「ええ。」
「この時期より、もっと先の季節に降る雨ですよね。」
「妙な降り方です。」
「雨雲が、蠢いてる。」
その呟きに苦苦しげなニュアンスはない。「運動場に、川が出来てる。」
視線を下へ投げ、割れた土を指で示して彼は俺の用向きを探る。「アカデミーにお越しになるなんて、珍しいですね。」
「そうね。」
「これから済ますんですか。」
「ん、や、マア、済んだっちゃア済んだよ、もう。」
「ふうん。」
先刻とは打って変わった、物静かに話す彼の声質は、耳触りが良いことを知った。「上忍師としての用?」
すっぱり「仰っていた図鑑を借りに」とは言い出せなかった。
この場面で、昆虫の顔面の接写のみを収集したという写真集に関する一切はそぐわない。漂う情調を敢えて壊すことに大した意義を感じない、優先順位の問題だ、お前にとっても過ごしやすい平静な雰囲気を台無しにはしたくないだろうと説き伏せる意気込みで心音に耳を傾けてみたところ、心臓も納得尽くかして騒がない。かくして、俺の各部の総意で以て目的は伏せられた。
「ちょっとした野暮用で。」
愚図愚図な態度で並んで立って、ひび割れの案配に走る雨水を見る。
「野暮用で……。」
「そう。野暮用。」
「そう、ですか。」
雨音。

稲光。
「光りましたね。」
イルカ先生は、もう一度稲妻が走るかどうかを観察しているようだった。
雷鳴。
「ああ。そう遠くない。」
話し掛けてくるくせに俺の律儀な受け答えを気にしない彼は天気に夢中で、きれいな首筋を伸ばす。
子供じみた所作と泰然自若たる口吻、生命力の強そうな外見がちぐはぐで、その収束しない不思議な印象を表現する術が欲しくなる。俺に絵心があれば、精悍なこの横顔を写生するのに。てんでその筋の素地がないから、右目の底にでもクロッキーの要領で焼き付けておくしかない。それもまあいい。彼はおかしな内面が滲み出ていない時、好男子だ。


濁る景色の手前で滴る雨垂れが、条の様相を呈し出す。
「雨の情景ってね、こうして二人していると、閉じ込められた気分を催すものらしいですよ。」
切ないとしてそれが採用されるのだか、詩的ゆえに差し込まれる一場なのだか、何本小説を読んでも心に琴線が一本もない俺には解らない。けれど、使い古されながら時代がどうでも愛され続けるようなものには必ず、人の素敵な感性に訴えかける要素があるのだろうと想像する。
「誰が言ってたんですか。」
「色んな話。こうして雨に包まれていると、世界から隔離されたというんですかね、そんな感じになるんですって。」
「ふうん。」
「そんな感じ、しますか。」
「お、俺ですか、……済みません、……正直……しない、です……。」
語尾が迫るにつれ段段と小声になっていく様子が可笑しい。
閃光。直後に低い轟き。ビビビと窓硝子が振動した。雷神は里の真上を通過するらしい。
「俺は、どちらかというと睡魔に襲われます。」
「ふ。」
納得して、男を見ると、なるほど先程は確かにあった眼力は消え、心なしか虚ろな表情を湛えていた。
「色気がないですね。」
回答に宛てた俺の寸評とは裏腹に、その目元のアンニュイが扇情的だった。それは、逞しい見掛けとの懸隔に伏兵の如く潜む倒錯かもしれない。

繁吹き雨が無数の玉水を次から次へと窓に当てる。それがきらきらと伝い落ちてゆく。黒い天があちこちで白い光を放ち、不穏な音を大きく鳴らす。
「カカシ先生は、疎外感を抱くんですか、こうしていると。」
「ううん、ちょっと違うんじゃないかなあ。そういうんじゃなくて。」
「ふむ。」
「二人っきりが強調されるというか。ここには君と僕しかいないよ、みたいな? 相手との心的距離が近づくんですかね。」
「そうなんですか。俺、小説はろくすっぽ……、いっそ読んだことがないと言ってしまった方がいいくらいで。恋愛物の手法ですか。」
「……。的確ですね。盲点でした。」
含意があると誤解されかねない条件下に、俺達はいたのだった。
「いえ、ええと、あの、何せ無粋なものですから、済みません。二人がいる時の描写なんですね。」
「多分ね。俺も、よく解らないんだけどね。」
「なんだ」と笑ったイルカ先生は、教卓の方へ引っ込んで行った。

「それじゃカカシ先生も同志なんじゃないですか。」
「でも、俺は極度の夢想家だから、解らなくても、浪漫的なものを見聞きするのは好きなんだあよ。」
外の荒れ模様を眺めるこの頭に浮かぶのはどれも、雨というより嵐の描写がある作品だった。「それでね、素晴らしいものに違いないと、真価の分からぬものをただ集めているんです。」
「……。」
「いつか、埋もれたいです、それに。」
背後の空気が小さく揺らめいた気がしてそちらを見ると視線がぶつかり、急に小っ恥ずかしくなって頭を掻く。「ああ、今の話は、忘れて下さい。」
こんな時に限って、上空の雷様の楽譜は全休符の連続地帯に突入しているらしい。
「誰にも洩らさないなら俺一人の胸にあるぐらいはいいでしょう。さ、カカシ先生も、もうちっと奥へ寄った方がいいですよ。落雷するかもしれない。」
「はあ。」
確かに、どこかには落ちそうだ。
「いまいちピンとこないってぇ顔。俺は子供時分にそう教わったんです。雷が鳴ったら臍を隠して居間の真ん中に集合って。」
説明しながら腹をポンポン叩く姿に、えも言われぬ惑いが生まれる。この男と過ごしていると俺の全体は解れてゆくのに、部分的な心臓だけが不意を突いてバタバタと搏動するのだ。


「……イルカ先生。」
同時に俺の背後がぴかっと光り、バリバリバリと一際大きな轟音が呼び掛けと重なった。それでも聞き取れる間合いだったようで、机に腰掛けた彼は未だ窓際に留まる俺を見ていた。そうして、待っている。
彼は、後続の言葉を待っていた。
「……、」
何故、名を呼んだのだろう。
「……何でもないです。」
控えている言葉など、俺の中に一つとしてありはしない。
「カカシ先生。」
今度は、じっと見詰めてくる彼がおもむろに口を開き、俺のことを呼んだ。

「それは、本心ですか。」
「何が聞きたいの。」
「何も、無かったんでしょうか、本当に。」
「はあ。そう思います。ああ、申し訳ない。用もないのに……その、呼んでしまって。」
「いいえ、真実無かったなら、無いでも構わないんですがね。」
「はあ。」
「……。」
「これで、大団円ですか。」
「俺は、有ったと思うんです。」
「はあ。……ハ?」
「さっきのカカシ先生の中には、何かが有ったと思うんです。例えば、俺に言いたいこと。でなけりゃ、呼ばないんじゃないでしょうか。」
「ううん、そう言われてもねえ。」
「気になる点ははっきりさせたい性分なものですから。どうか気を悪くなさらないで下さい。」
「別段害してなーいよ。」
「ところで、カカシ先生は、今日はお忙しいんでしたっけ。」
「ん、いいや。」
「じゃあ、俺、そうですね、後二時間位、ここに居ます。だからその間に、考えてもらえますか。勿論ここで一緒に缶詰めになっていなくて結構です。御気になさらず、いま直ぐ帰ってそれっきりでも構いません。それなら俺も、ああ、やっぱり特に何も無かったんだと答えをまとめて帰宅しますから。その代わり、万が一言おうとしたことや何かがひょっこり顔を出したら、俺に伝えに来てもらえませんか。」
「わざわざ? ここに、報告に戻れって言うんですか。」
「だから、はなから期待はしていません。直ちに帰って、もう戻って来なくても結構なんですってば。どうせ俺はまだアカデミーに居ますから、気が向いたら寄って帰って下さいってことです。」
「面倒臭い人ですね、貴方。」
「憚り乍ら気に掛かるのを放置しておくのは心持ちがすっきりしなくて嫌なんです。せめて解明の場を設けたい。その間に貴方が来なきゃ、それはそれで片が付きます。要するに、結果には拘らないんです。」
だから、と言い募るのを遮って手を上げた。
「分かりましたよ。そちらの言い分は飲み込みました。しかし俺はこれで帰ります。そして貴方が何時間待っていても、ここへは戻りません、面倒臭いので。それから、二時間後の答えを一応お渡ししておくと、俺の中には何もありませんでした。言った通りですよ。待つだけ無意味。止めておくのが賢明です。まさか名前を呼んだだけでここまで絡まれるとは思いませんでしたよ。これからは迂闊に口を開かないよう精々留意します。では、ごきげんよう。」
意見が三文を超えると送り出すのを怠いと感じる平生の例と異なり、この時は恐ろしく舌が回った。

本降りのなか、近場にある上忍待機所を大股で目指す。こんなに雨脚が強まるなら蛇の目よりも雨外套を選べば良かった。心臓が、五月蠅い。
(黙れ、文句を垂れるな。偶には俺に従えよ!)





4.

畳んだ雨具の水気を振って払い、玄関の傘立てに突き挿して階段を上がる。
心臓が甚だ五月蠅い。
一段一段、踏みながら説教する。いい加減迷惑だ。諦めて欲しい。
何をか。
それは、だから、つまり、あの人と、仲良くしたいのを。必要以上に、さ。
何故。
何故か。何故なら俺が、苦しいからだ。我を通したいと喚くお前よりも、苦しいのは命に暴れられる俺の方なのだ。だから迷惑だと言うのだ。
「世の中にはどうにもならないことがあるんだよ、そうは思わないかい。」
片戸の握りを回して身を入れ、戸口に立っていた上忍に挨拶がてら同意を求める。
「うへえ、カカシが来た。」
「ああ、丁度いいところへ。おい、ちょっと留守番してろ。」
他人の駄弁に耳を貸さない人間が多い待機室では往往にして話が噛み合わない。協調性のない風土は、上忍層に強烈な個性が多いことを物語っている。
「待って、アタシも上がります。限界だわ、家を出たのが間違いだったのよ」と左隅の死角から三人目が出てきた。声は男なのに豊かな胸がある。恐らくは俺の知らない顔だ。氏名も雌雄も不明だけれど興味が湧かない。ここにいることを考え合わせると上忍か。ともあれホモ・サピエンスの一括りで決着だ。
「半端ないわ、記録を塗り替えたんじゃないかしら。お先でーす。」
「でっきるっかな、でっきるっかな、一人で留守番ー、だけど難しいかもしれない、カカシだもん、ベベベン!」
「二、三十分宜しく。」
「限界よ、アタシは家を出た時から既に限界だったのよ。なんで出て来ちゃったんだろ、この頑張り屋め。誰か誉めて。」
「偉い偉い。」
海老腰でよろよろと退室する奴に望み通りの送辞をやったら、ぎょっとする速さで首が回って目を張られた、次の瞬間、半べそをかいてキャアという奇声とともにその得体の知れない人類は走り去り、到着早々俺は一人ぼっちになってしまった。気分はいつかの、まるで付いてなかった孤立無援の戦況と似ていた。

柔らかい長椅子に腰掛け、間断なく降る雨を聴きながら本を開く。後は夢中で読み耽るつもりだった。ところが、これが無駄に同じ頁の上で往復を繰り返すばかりでなかなか捗らない。心臓のソワソワが眼球にも伝染したみたいに行と行とをウロウロする。
(あの人、帰ったかな。帰ったよね。)
クライマックスまで猪突猛進する筈が、五行進んでは三行戻って読み直しといった調子で物語の内容は一向に頭に入ってこなかった。

こんなことは滅多にないのに、皆どこかへ出払ったまま人っ子一人現れやしない。
小降りになるどころか、外は土砂降りだった。
(どうして出てきてしまったんだろうな。)
手に付かない小説を横へ遣ると、跳ねた泥で派手に汚れた、らしくない履物が映った。大雨とはいえそれは俺の、紛れもない狼狽の証だった。
――俺に伝えに来てもらえませんか。
あの人は、どんな言葉を欲しがっていたのだろう。
――例えば、俺に言いたいこと。
そんなもの、ありはしない。
――俺は、有ったと思うんです。
何も無いのだ。
――でなきゃ呼ばないと思うんですよね。
用が無いと、名を口にしてはいけないのか。
(それについては謝ったんだし、そう責め立てないでくれ。)
ざんざん降る雨。待てど暮らせど俺は一人。部屋がもぬけの殻になるのを度外視して移動する訳にもいかない。


――ここに居ます。
あれから二時間は経っていない。
(あの人、帰ったかな。帰ったよね。)
壁の丸い時計は、ひっそりと十八時を指していた。

だいたい俺は一方的に話を切り上げここへ逃げ込んだのだ。
(どうしてそんなことをしてしまったんだろう。)
どの面下げて会いに行くというのか。

置き去りにしたあの人の像が胸で結ばれると、心臓が挙動不審になる。
(彼なら、待っている。)
そんな根拠のない主張が通るものかと野次るそばから、教室の小暗がりが脳裡をふっとよぎる。
(あそこに、まだ居るのかな。)
具体的な約束をし損ねた、任務受付所の時とは違う。俺に取り残された彼は、よしんば思い付きだったとしてもあの会話を反故にはしそうもなかった。
「ああ……。」
あれだけの啖呵を切っておいて今更なにを、と思考が堂々巡りに嵌る。


やはりすんなりと借りるべき物を借りて帰ってくれば良かった。
イルカ先生の横顔が浮かぶ。面には真一文字の傷痕が付いていた。それにしても鼻梁の線が好ましい。付け根のあたりがほんの僅か骨張っている。それが、すっと通った鼻筋よりも男らしくて羨ましい。
「…………。」
あの人が喜ぶのなら、当初の目的を告げて終おうか。彼が太鼓判を捺す頁は、確か蚕だ。
(いやあ、……見たくないなあ。)
思わず溜め息が出る。どろどろと鳴る雷は遠く、小さくなってきた。



「今晩は。」
やがてくの一が扉を開けた。「ヤダ、暗い。」
「漸く人が……!」
電灯のスイッチを手探りしているのを飛び付く勢いで歓迎すると、待機室はぱっと明るくなり、俺の首はゴギ、と音を立てた。くの一から突き出された片手の平に頬が潰され、顔面には長い爪が食い込んでいたのだった。
「気持ち悪い。襲われたって里に告訴するわよ。」
「馬鹿な。」
愚にも付かぬ言い掛かりへの抗議よりも、先決すべきは人員の回復だ。「一人?」
単身だとしたら当分は動けない。俺の糠喜びになる。
「そんな訳ないでしょ。」
彼女は腕組みをして威張る。「他にもちゃんと暇な子を誘ってから来たわよ。」
「ちゃんとねえ。」
「そっちこそ、他は不在? 付いてないわね。」
「まーね。」
三十分前後空けると言い置いて行方をくらました奴等は一時間を過ぎても復帰していなかったものの、元々当てにもしていない。遅刻魔の当方からしても時間厳守の規律は耳が痛い。

「御蔭で色々考えちゃったよ。」
「気持ち悪い、第一分隊に通報するわよ。」
「アンタさ、俺の人格を勘違いしてるよね。」
「いいえ、絶対そうよ。」
「何がそうだって言うのよ、こっちこそ訴えてやろうかしらん。」
「あら、まだ居る気?」
俺が抜けると彼女が二の舞を踏むことになると思い、仕方なく引き返そうとした矢先、それには及ばないと追い払うような手付きをされた。「一秒でも早く出発したそうな焦り様だったじゃない。」
「仕様がないでしょ、ある程度は人手が揃わなくちゃ。」
「じきに華やぐわよ」と返されたそばから階段を上がってくる足音と、集団の甲高い笑い声が近付いて来る。
「ね。ちなみにこの雨、後十五分で止むわ。」
「ほう。」
この上忍の予報はほぼ外れない。勘ではなくてそういう技能の持ち主なのだ。
「どうする? 特別、団座に加えてあげてもいいわ。」
「ま、行くよ。今日の化粧可愛いね。んじゃ、どーも。」
耳寄りな情報に対してお礼の一言を添えた。一貫して、女が寄越す親切心へのお返しにはなんでもこれを使っておく。汎用性の高さが尋常じゃない。早年の段階でこの魔法の定型文を発見出来た俺は実績を上げつつ三段階活用を編み出し、今ではそのかなりの使い手となっていた。即ち、「今日の化粧可愛いね-今日も可愛いね-いつも可愛いね」の三型だ。種明かしすると化粧などしているのかいないなのかさえ見ていないのだけれど、たとえ素っぴんに誤爆しても効力に差はないと思われる。何回でも使用可能だわ、対象範囲も幅広く有効だわ、大層優れた飛び道具だ。
俺は、かしましいのが集う前に早足で渡り廊下を通り、事務所の階段を使って中枢棟を出た。










-続-
5.〜7.>