単発text08_2
此処に眠る。

- 写真

<1.〜2.
草原の蟻 空を飛ぶ。



3.

物心が付いた頃、カカシの周りにいた肉親は男親のみであった。そのサクモが息子の母親に纏わる一切を語らないからか、里の者たちもそうした出自に関わる話を避けて、子には何も教えなかった。稀に話題が接近するとその件に触れるのは誤りとばかりに口を閉ざし他に主題をずらされてしまう。そうなると大人の思惑を読み取る聡い子どもは、無邪気さを盾に取ってする質問も憚った。少年にとって母という生物は一角獣や麒麟と同類で想像上の某でしかなく、手掛かりが乏し過ぎてその存在を恋しがりもせずに育った。
また、はたけサクモは天才と評され比肩する者のない忍であったが、兎に角カカシはその人から愛されていると感じたことがなかった。幾ら親の愛に包まれていたって子どもというのは多くがそれを有り難がりもせずに大きくなっていくものだろうという意見は、重点が自覚の有無になっている。そうではないから言い方を換えれば、カカシは「自分は嫌われているのではないか」と思うことなら多々あったのである。跡継ぎとして期待するといった重圧は、「木ノ葉の白い牙」なる通り名を持つ忍からは些かも掛けられなかった。それなのに、出来ないことに対してはかなり厳しい指導を受けたからである。

父の元では同じ間違いを二度繰り返すことは絶対に許されなかった。それは、我が子を思うが故に採られた子育ての方針ではなく、さながらいち忍が次世代の忍を育てるという不特定の対象に向けられた教育の姿勢であった。彼等の間には絆の深まりよりも、他人行儀な上下関係が築かれていった。カカシはサクモから術や技の熱心な手ほどきを受けた。だが、そこには赤の他人同然の近寄りがたさが常在していたのである。
サクモは怠慢と言い訳を認めない優秀な忍の空気を放ち、息子は目に見えない拒絶感に緊張する。親近感を芽生えさせる取っ掛かりが父には最初からなかったと、後にカカシは振り返った。舞台が朗らかな休日の午後であろうが、茶の間で摂る親子水入らずの食事中であろうが、打ち解けられないその雰囲気は両名の間に片時も変わらずにあったのである。一緒に風呂に入るのも、台所に立つのも、全ては親子の交流ではなく生活の仕方を教わる学習の時間であった。要するに、家族という特別な関係性に拠る愛情を与えられた憶えが彼にはなかった。
実際彼は父から笑い掛けられた記憶も、父の掻いた胡坐の中で遊ばせてもらった記憶もない。さらには実益性を見出せなければ一日の他愛ない出来事を話し合う機会も作れず終いで、互いに無駄口を叩かない二人になった。カカシはしばしば父子でそっくりですねと容姿を一目して感想を述べられたが、サクモの返事を耳にしたことはついぞなかった。上目を遣って見上げると、そこには無反応に聞き捨て、本題に入る成人男性がいた。
手を繋いだことが二度あるのを未だにしぶとく覚えているのは、手の平の温もりを直に感じたその素手の感触が滅多にない経験として幼心に強烈に焼き付いたからである。一回は、里周辺の地形の見学に行った時。あとの一回は、里の玄関口である阿吽門へ、任務に発つ父を送りに行った時である。といっても、この見送りは途中で終わっている。前後は忘れてしまったが、門の手前でするりと手を離されたカカシは、
「行って参ります」と挨拶された、その一齣を明確に覚えているのである。サクモのそれ以外の口調は丁寧でも慇懃無礼でもないにも関わらず何故かその挨拶は、息子相手にも「行って参ります」で固定されていた。

子どもの掛かり易い病気に感染して、脳に菌がいくと高い死亡率と後遺症が出るという医者の診断で入院していた夜でさえカカシは単身で乗り切った。里内任務として医療部から派遣された看護人は付いたが、彼の父の姿は国境を越えた戦場にあった。
「息災か」という手紙を貰ったことも、こちらから筆を執ったこともない。各地で白刃を振るっていたそのサクモも、子の齢が十になる前に他界してしまった。
カカシはいつの間にか、我が身は両親の愛の結晶でも何でもなく、吐き出し損なった欲の残骸に過ぎないと見做すようになっていった。
最近になって彼が「はたけサクモ」に思うのは、個人的な愛というものを持っていない人だったのではないかということである。忍として同胞を博愛することはできても個別に愛を注ぐことが不可能であったように思う。だから益々皮肉でもなく、卑屈さからでもなく客観的な表現として、カカシは己の「誕生」という単語の前には「運悪く」と付けたい心境になるのであった。その修飾語には、はたけサクモという一個の男に対する、男としての同情も幾分含まれていた。

さて、そんな様にすんなりと生い立ちを整理できてしまえれば、人生は楽である。現実という壁は大層厚い。親との完全な訣別が可能になるまでには成長という時間をそれなりに要した。自分だけが権利を持つ愛という代物の痕跡を過去から血眼になって捜し、ちっぽけな当てに縋っては馬鹿らしくなって捨て、限定的な愛を憎みながら求め続けた。
積み上げた自らの考えを否定したくなると、カカシは唯一の白黒写真を取り出して見詰めた。かつて父がこの景色をその目に映したのだと信じて当時の場面を想像した。そしてまた、父を見て笑っている自分の姿を彼は見詰めるのである。


「とんでもなく変わった人でね。だから、俺の師事した上忍師から聞かされたんだけど、これの撮影者が父だっていうのも十分に信憑性のあることなんです。いまとなっては理由こそ知り得ませんが敢えて色味のない手法を選択しているところが、……あの人にとって世界は薔薇色ではなかったのかもね……、あの人らしい。」
「大切な写真じゃないんですか。お返しします。」
「ん。……どうだろうね。失くしたら、それはそれですっとするのかもしれなーいよ。」
カカシは酔いの為にゆっくりした所作で写真を元の通り適当な頁へ挟み、愛読書を腰元に収めた。
「詰まんない話しちゃって、ゴメーンね。」
「いいえ。」
首を軽く振ってから、イルカは、
「そうですねえ、じゃあ俺も、全然関係ないこと話していいですか。」
と言った。
「どーぞ。」

「俺、お年寄りに諭されたことがあるんです。『人生って、長いよ』って。」
「ほう。一体なんの話をしてたらそんな言葉を授かるんだか。それって、いつあったこと?」
「はは、この年になってからですよ。俺、なんだか老人受けが良くって。」
「ハ、何それ。」
「ふは。んでね、それを聞いて、こう思いました、『知ってるよ』って。」
「知ってるよ、か。ウン、長いよね。」
「ええ。」
「……。」
「……、……。」
酒の所為で頭がくらくらしている身には、じわじわと固まりゆく沈黙の長さが測れなかった。
正気を保つイルカは迷いながらも、未来永劫どこにも口外する気などないから未だ嘗て何人にも洩らしたことのなかった、最下層に埋もれた滓の縁辺を、頭を抱える酔っ払いに何故だか急に話してしまった。
「…………俺は、…………六才の夜から、ずっと思ってるんです。長いなって。」
その時に少年の純真は砕けて散った。百年経っても彼の夜に星は降らない。
美形の薄い唇が開かれそうになって、二十五になった彼は素早く話を回収した。
「おしまい。」
「……、そっか。」
「そ、そ。」
「俺も、さ。二十歳になる頃にはもう十年以上も昔の話になっていて、きれいに消化できていると思ってた。せいぜい餓鬼のうちに誰しもが陥りがちな、大人になる前の通過儀礼みたいなものだろうって。……それが歳を取るにつれてさ、鏡に映る俺がどんどんあの人に似てくるんだよ。そうこうして、十代では全然現実味のなかった家庭や子種の問題に詰め寄られる年齢になって、片付くどころか深刻さを増していくんだ、って……気付いた時の絶望感ったらなかったよ。……人生は、確かに長過ぎる……。」
散々愚痴を並べていた男の飲む手は完全に止まっていた。いよいよ出番となった介抱人からは見えない右目がのろのろと瞬きするだけである。

「出ましょうか」と声を掛けられ、ふらりと立ち上がったカカシは、その場でいきなりすとんと垂直にしゃがみ込んでしまった。
「あーあ。」
客はこのとき幸い他に無かった。俄かにカウンターの向こうで蹲った客の対応に乗り出そうとする店員を身振りで宥めた、イルカはこの期に及んでもさしたる動揺を見せなかった。
「大丈夫ですか。」
「無……理……。」
「いかにも、無理そうだ。それは……急性の中毒かな。」
「んー……立ちくらみ……。」
「ふむ。」
最後の一時間を共に過ごしたイルカが店員に勘定を頼むと、それは後日にでもしっかりカカシに請求が回るよう、去り際にアスマが話を付けてくれていた。
「じゃあカカシ先生、取り敢えず店先まで、なんとか頑張って出ましょうか。大丈夫ですよ、そこまで出たらどうとでもなります。立てますか。ほんの数歩ですよ、さ、出来る、出来る。行きますよ、よいしょ!」
里内屈指の実力を誇る上忍をまるで鉄棒で逆上がりが回れない生徒を励ますように、促しながら担ぐ大胆さで支え、小さな鈴の付いた扉を押し開けて軒下へ出た。
「それで、と。高名な里の誉が酒で起立不能、加えてこのタッパって、已むを得ぬ例外的事態に相当するよなあ。」
腕組みしていた現役教師は影分身を出して、二人掛かりで介抱することに決めた。本体の背にカカシを負わせてから、出した一体は自宅へ走る。アスマが仮眠室と呼んでいた小会合室がある事務棟より、現在地からそこまでの道中のおよそ中間地点に位置する家を目指すことにしたのである。





4.

イルカは私的空間をあまり必要としない人間である。他人に踏み込まれたくない領域は殆どない。どれ位ないのかというと、せいぜい踏ん張っているときの便所くらいかと思う程なのである。だから、彼と付き合いたいと目論む人間は先ず初めにそのことを承知しておかなければならない。さもなければ擦れ違いの大喧嘩の果てに別れることになる。なぜなら、喜んで上がった彼の部屋で寛いだ次の日に、今度は見ず知らずの何者かがそこでゴロゴロしている光景が平気で広がっているからである。
この男の家へ招かれたとしてもそれは、特別な人間関係を結べたことを意味するものでもなければ気を許された証でもない。事実彼には、恋人とそうでない人間との差があまりない。やるだのやらないだのの問題が瘤みたいに一つ、ぽっこり付加されているといった違いなのである。詰まるところ、その線引きをもってしても彼の前では差が重大に扱われない。
うみのイルカという男は、友達にであろうが恋人にであろうが、飲み屋で会って数時間の素性の知れない人物にであろうが気安く自室を開放する。それが原因で恋人に詰られ、振られた経験が何度もある。それにも関わらず生活様式を変えるつもりのない彼は今晩も、さほど親睦を深めてもいない上級の忍を一名、部屋へと通したのであった。

階段をなんとか上り切ったイルカが呼び鈴を鳴らすと、中からイルカの分身が顔を出した。
「お疲れさん。今日は誰もいなかった。お茶、沸かしておいたぞ。」
「おお、面倒臭い事にならなくて済んだな。了解。それじゃ、そっちの俺は履物を脱がせっか。んで、そのまま足側担当して。協力して寝台に運んで任務完了って流れで。」
「あいよー。」
枕元にある燈火の紐を引っ張ると、顔面蒼白のカカシの片頬が橙色の明かりに反射して茫と浮かんだ。
「上忍様をお持ち帰りしてしまった。」
「……視界が……。白い…………。……開いてく……。」
謎の実況をうわ言で呟き、上忍様は苦しそうに寝返りを打つ。冗談はさておいてイルカは、次々と相手の装備品を解除していった。「ンー」とか「アー」とかいう音を口から出して許可する弱り切った男の意識はどんどん遠のいているらしい。
「何か飲みますか。今して欲しいことは。吐きそうになったら言ってくださいね。何かあったら起こしてください。」
部屋の主が声を掛けても、応答は最早返ってこなかった。


真夜中に、カカシはむくりと起き上がった。介抱人がそのままにしておいた額当ては、苦しみに悶える手が無意識のうちに取り払ってしまっていた。眉から頬にかけて、その肌には深い縦傷が残っている。弾みで目蓋が開かれると、移植された特殊な瞳が赤くちらちらした。この左目をまともに使おうとすれば精力を際限なく吸い取られてしまう。
寝台の気配に注意を払いつつ床で横になっていたイルカは衣ずれの音でぱっと目を覚まし、上に合わせて体を起こした。そして、絵に描いたように辺りを見回しここはどこだと思っている担ぎ込まれた客にすぐさま状況を教えた。
「カカシ先生、俺の家です。」
「誰?」
「うみのです。」
「……誰。」
黒い影に視点を定めたカカシは目を凝らす。
「中忍の、受付に座ってる、教師で。」
「だから。」
「うみのイルカです。部屋、明るくしましょうか、すげえ眩しいと思いますけど?」
「イルカ……、イルカ先生。」
遠回りのヒントみたいな紹介が一つも通用しなかったのに、肝心の答えが一発通過を果たしてイルカ先生はがっくりと脱力した。

「もういいんですか。」
「うん。」
「はい、どうぞ。茶です。あ、粗茶です。飲めますか。水が良けりゃ、取ってきますが。」
「……ありがとう。」
住み慣れた間取りであるから暗いのを物ともせずに台所から戻ってきたイルカは、力士の番付や土俵の絵柄が入っているやたらでかい湯呑を渡し、茶を一杯に湧かしておいた見栄えもへったくれもない片手鍋を寝台脇の小さな卓に置いた。
「カカシ先生って、下戸?」
「……恰好悪いですよね。」
「え、恰好なんて付けようもない、酵素の次元の話でしょう。それに大酒家と比べたら、俺は下戸の方が好きですが、まあ、いずれにしろ飲みすぎは貴方の体に障りますよ。」
「はあ。」
「さて。じゃ、俺の起床時間には起こさせてもらいますが、それまでは、お休みなさい。」
さっさと離れてしまいそうな部屋の主の上着を、妙な違和感を伴いながら酔客はちょっと摘まんで引き留める。
「俺が、下に行きます。」
「ああ、いいえ、気にしないで下さい。」
「なら、帰ります。」
そこでイルカはあからさまに顔を顰めた。有り難いことに、眉間の皺は深夜一時の闇に揉み消されていた。ところが、発した声の質でぶすっとしていることはあっさりばれた。
「明日、任務か何かあるんですか。」
「なんの予定も、ないですけど。」
「意見してすみませんが、じゃあ俺の起床時間がくるまでそこで大人しくしていて下さい。お願いですから面倒なこと言い出さないで。俺は寝たいんです。便所は?」
「借りたい。」
「玄関に一番近い戸がそうです。あとは適当に風呂でも冷蔵庫でも、ある物は使って下さって結構ですから、休むなり起きているなり朝まで自由になさっていて下さい、貴方はね。俺は寝るんです。では、お休みなさい。」
壁を伝って便所から帰ってくると、早くもイルカは寝息を立てていた。覗き込んで凝視すると、髪型が違っていることに思い当たった。違和感の正体は、下ろされて首元に流れる黒髪であった。
再び布団に入ったカカシの嗅覚は、改めて好きな人の匂いを感知した。興奮して眠れなくなったらどうしようと危惧したのもほんの束の間、まだ残る酔いと、身を包む匂いの半々でクラクラする彼はゆらゆら揺れる心持ちのまま、凝りがほぐされていくような解体の感覚からすぐに深い睡眠へ落ちた。



翌朝、カカシが目を覚ますと部屋の主の気配はなく、台所を覗くと食卓の上には置き手紙があった。鍵は玄関扉の新聞受に投げ込んで帰ってくれという文言と、近所の周辺地図が手書きされていた。目印に書き込まれているのは最寄りの郵便局である。木ノ葉の里の代表的な目印となる火影岩の位置もざっくり入れられていた。火影岩は、歴代里長の顔が彫られた崖で、方角は真北に当たる。
手に取ったそれに目を通していると呼び鈴が鳴り、来客があった。時計を探せども見当たらない。頭を掻きながらマスクを上げて顔を隠し玄関を開く。抜かりなく左目にも、持っていた紙片を翳した。
寝起きの身では外からの光が強烈に眩しい。
「イル……、あ、れ?」
一歩引いて、そいつは部屋番号や付近の景色を確認した。どこにでもいそうな、元級友であると紹介されればなんとなく頷けるような、ぱっと覚えられる特徴がない青年だった。
「あー、イルカ先生の家ならここで合ってるよ。」
「あ、なんだ、……そうですか。それじゃ、またにします。」
「え、用があったんじゃないの。」
「今は貴方の時間だから。僕が邪魔する訳には。失礼しました。」
この短い会話の間に、カカシはなんだか猛烈に向かっ腹が立った。こちらが詳細を掴めていないのに勝手に分かったような口を利かれて、見えぬ話をまとめられたのも気に食わなければ、また来る気かとも思い、そもそも誰で、部屋の住人とはどういう関係なのかということなんぞ知らないけれども、泊ったこと請け合いの第三者の存在をあっさりと承諾して済ますあたりに強い疑問を抱いた。何よりも目的として来たイルカのことを大切に思っている様には感じられない人間に、一方的に同列な扱いを受けたことに憤りを感じていた。それでも「平・常・心」の三文字で脳内を隙間無く真っ黒になるまで埋め尽くし、むかつきを鎮める。寝起き早々のことであるから、また脳貧血を起こし兼ねない。
「ちょっと待ちなよ。アンタ、イルカ先生の恋人?」
「まさか。仮に本命があんな開けっ広げな性格だったら、僕は付いていけない。諦めますよ。」
「……。」
ならもう来るな、と低血圧で不機嫌なカカシは心の中で毒突いた。










-続-
5.〜6.>