単発text08_3
此処に眠る。

- 写真

<3.〜4.
草原の蟻 空を飛ぶ。



5.

ここにあるものは何でも使っていい。
夜中にそう言われていたカカシは遠慮なく湯を浴び、体を拭いて寝間に立つと、肩幅に足を開いて腰に手を当て、片手鍋に直接口を付けると豪快に大量の茶を一気に飲んだ。大袈裟に「ぷはあ」と声を上げてみる。辺りはコトリとも鳴らない。初めて上がる、それも好きな人の家で、正真正銘、独りきりである。
鍵は、新聞受に。
昨晩は起こすと言っていたのに、目覚めた時から既にイルカの姿はなかった。

朝から丸々放置されているカカシは、指示通りにここを後にしたら、自分と彼との繋がりはきっちりとした挨拶もなしに消えてなくなってしまうのであろうかと思った。なにせまだ礼も述べていない。それ以前に素面に戻ってから一度も、顔も見ていないのである。それでは流石に心持ちがすっきりしなかった。
物音一つしない部屋で息をしていると、少し前に慣れた様子でイルカを訪ねてきた輩のあったことを思い出す。
「髭熊め……、呪ってやる。」
面倒見は相当いい部類に入る人物に、今度顔を合わせたら責任放棄と詰ってやろうと、カカシは拗ねた心で八つ当たりした。


暇な上忍は、無言で去るのは失礼という主張にかこつけて忍者学校へと赴いた。植え込みの間をガサガサ抜けて一階にある教員室の窓辺に近寄ると、黒髪を毎日同じ束ね方で一つにしている後ろ姿を運良く発見して、
「イルカ先生」とその背を呼び付ける。
「あれ、カカシ先生。お早うございます。」
「お早う。さっき家に来客があったよ。」
「火急の報でしたか。」
「ううん。俺が出たら、察したように帰って行きました。」
「なんだ、そうですか。へえ。」
「……。」
「……ええと、じゃあカカシ先生のご用件は。」
カカシは窓枠に肘を載せた。
「イルカ先生、ああいうの、どうなんですかね。裏で商売でもしてるんですか。」
「商売だなんて、誰が来たのか知りませんけど。喧嘩売らないで下さいよ、金品の授与は一切ねえ。泊めた貴方にも請求なんかしてないでしょう。あ、昨日の酒代はカカシ先生の払いだった、御馳走様です。それはそれとして。俺は、別段断る理由がないから家へ上げているだけですよ。」
そこで予鈴がカンカンと二回、校舎から校庭まで、敷地内に響き渡った。
「ああ、俺、そろそろ行かねえと。それじゃ。」
大人も子供も一斉に、皆がばたばたとし始める。
「あ、待って。違うんです、いびりに来たのではなくって、鍵を……!」
「鍵? 書置きに気付きませんでしたか。」
「でも、やっぱり直接返した方がいいかと、」
「あー、んじゃ、そこが俺の机なんで、そこに置いて帰って下さい。その雪崩そうな山の。何とかすればどうにかなりますので。では、俺はこれで、左様なら。」



「不用心じゃない?」
それがカカシの大義名分である。
「で、未だにお前が持ってるのかよ。」
手の届く所に灰皿がある長椅子に腰掛ける、アスマは理解し難いといった表情をした。「オメェの懐にあるよりゃアよっぽど無難なんじゃねえか? 教員室の机の方が。」
「だって、さ……。」
日溜まりをつくる窓硝子に凭れて、カカシは装備した手甲から伸びる指先で、黒地の上で光る銀色を弄る。
「寂しいのよ。あの子。」
はっきりとした目鼻立ちの美人は愛煙家の隣ですらりとした足を組み、イルカのことをまるで弟を語る姉のような口調で話す。カカシはこうして上忍待機室で休日を持て余していたが、第八班、第十班を率いている先輩方は次回の合同任務の打ち合わせを、彼が来るまではしていたらしい。
「手当たり次第に食い散らかしてるってことですか。」
「カカシ。」
「敵を作りたいなら私がなってあげてもいいのよ。」
「はいはい、寂しいと死んじゃうのよね。それなら、恋人をちゃんと作って一筋になればいいじゃない。」
「うーん、それが、作っても長続きしないみたいなのよねえ。あ、束縛されるのは嫌なのかもしれないわ。」
「何それ。矛盾してない? 寂しいんなら嬉しい筈でしょ、仮令うざったくなるほど干渉されたって。」
「限度ってもんがあんだよ、限度ってもんが。」
「人は矛盾する生き物なのよ。」
「ほう。で、悟った顔で諦めた皆様方は立ち入らない、と。」
「何をそうつんけんしてんだ、オメェは。」
「至って柔和です。」
細められた右目は、いやに演技的に見えた。

「誰かのものになるってえのは、意外と大変なことなんだろうよ。」
アスマは新しい煙草を一本振り出し、火を付けた。紅は素知らぬ顔で聞いていた。
「アスマ、鋭い。」
カカシはぱちんと指を鳴らし彼を指差す。
「成程ね。その方法が分からないって言うなら一から十まで躾けてやるのに、俺ならさ。縄張りの大切さも、一途になることの素晴らしさも、何から何まで。」
笑ったらしい覆面男の雰囲気が薄気味悪く、紅は知らず知らずのうちに足を引っ込め大きなアスマの影に入った。
「薄ら寒い冷気を放つな。」
「付け入るなら、駄目人間の角度からで決まりだあねえ。」
カカシは愛読書を開き、あの写真に写っている赤子に同意を求めていた。「我ながら完全に捻れてるよなあ。ここまで変態に育ったんだからねえ。」
「そう思うのなら、まずその本を捨てちまえ。」
「私が捨ててあげましょうか。」
密かに写真を挟んでいるその小説は、十八歳未満の閲覧が禁止されているほど過激な描写が一部で大人気の恋愛劇であった。
「自覚している変態とは慎ましやかなものですヨ、ここは一つ、そっとしておいて頂戴。」
「気持ッち悪。」
「お前ってホンット、宝の持ち腐れだよなあ。」
「天は二物を与えずとはよく言ったものだわ。」
馬耳東風といった様子で男は口の片端を釣り上げた。
「燃えてきた。」





6.

心に火が付いたカカシは介抱された一件を足掛かりにして、貴重な縁を手中に収めるべく早速その囲い込みに乗り出した。
「イルカ先生。俺が己の生命と格闘するのにはどうしても、貴方という存在が不可欠だから、これからは俺一人に独占されてくれませんか。」
「…………、…………はい?」
「早い話が掛かりっきりになって欲しいんです。」
「はあ…………?」
「雑に言うと、好きだから付き合って。」
「おっと、あの……。」
「俺と付き合うと良いことがありますよ、そちらにとっても。」
「そりゃ一体、どんな。」
「更生させてあげます。」
「……はい?」
「更生させてあげます。」
「……あ。生き様的なものを? そう、ですか。いや、ハハ、驚き過ぎて頭が一瞬真っ白に。」

「返事は?」
「ああ、交際云々は別に構いませんが……。」
イルカは来る者拒まず、去る者追わずという態度の典型例であった。但し、彼の中には、来る分には拒まないものの別れたくなったら別れを告げ、去りゆく者を追わないのは当然のことながら追い出したくなったら強制的に退去させる非情さが併存していた。
「何か問題でも?」
「俺はカカシ先生のことをよく知りませんし、現段階では正直なところ、その、好きだとか、そういう気持ちは……。」
「なくても大丈夫です、貴方にも俺が必要なことに変わりはありませんから。」
「そう、でしょうか。」
「ええ、そうなんです。ちなみに、付き合ってくれるんなら、引っ越して下さい。」
「ひ、引っ越す? どこに。」
「差し当たり俺の所に。」
「カカシ先生のお宅? 同居ですか。」
「んまあ、共同生活ですよね。更生施設に入る心積もりで来て下さい。」
ここでイルカは漸く口をすぼめて抗議の意を表した。
「コーセー、コーセーって、人を不良か何かみたいに……。」

カカシは色んな連中が知っているイルカの居場所から彼を引き剥がして、両者をばっさりと断ち切ってしまいたかった。当方があの部屋で生活するという案には端から考慮の余地などない。目障りな連中と玄関先でばったり遭遇するという不愉快さを一泊目で植え付けられていたからである。
「手狭であれば新しい所を探しましょう。」
「でも、いきなり俺が転がり込むと、カカシ先生は迷惑では?」
「ないから、こちらから提案してるんです。」
「御尤も。……一つ屋根の下で暮らすことに異存はありませんよ。しかし、付き合うに当たってのことなんですけど、俺、忠告の皮を被った焼き餅を焼かれるのはちょっと……苦手というか……。」
「貴方の言う焼き餅って、例えばどんなのです。」
「え。うんと、そうですねえ。例えば、よく文句を付けられるのは、人を気安く自宅に入れないで、とか。」
「ああ、大丈夫です。他人を内に上げないでと俺が咎めるのは、それは焼き餅からではなくそこが俺の家でもあるからです。遵守する規則は全部、俺がその都度教示してあげるよ。」
「ああ、成程。」
成程じゃない。
もっと大きな抵抗を捩じ伏せる気概でいたカカシは、あっけらかんとしたイルカの、いとも容易くころっと騙されてしまいそうな浅はかさが不安になった。一体どうやって生き伸びてこられたのかとまで案じつつ、さらに押しの一手で言い包める。
「つべこべ言わずに、俺に身を預けなさい。」
「は、はい。」
この時、イルカの脳裡には、親指を立てて頷く母の姿があった。
彼の母は在りし日に、どこの国から流れて来たのやら、各戸を回るきな臭い訪問販売から大枚をはたいてマットレスという物を買った。敷布団の下に置く分厚い敷物である。聞くところによれば安眠を約束するそれを、健康にいいだとか何年も持つだとかいって薦められたらしい。「口車に乗せられて」と忍仲間は勿論家族も揃って呆れたが、彼女は意に介さなかった。そして確かに、イルカの幼少期から両親が亡くなるまでそれはずっと現役であったし、母の布団に飛び込むと頗る柔らかくて夢見心地になったのである。
(良い買い物をしたわ、母ちゃんの眼識を信じたの。)
誇らし気に母は親指を立てた。その姿が、ふと浮かんだのである。

そうして話はとんとん拍子に進んでいった。
住めば都を地で行くイルカは元々生活場所に執着心がなく、てきぱきと荷物をまとめて見慣れた部屋を引き払い、物は置かれていたが空いているといえば空いていたカカシの家の八畳間にやって来た。
その未練のない行動が傍目には隷属的な服従とまで映り、洗脳でもされたのかと友人たちが憂慮した。大笑いしてイルカはそれを杞憂と否定した。
「なんつうか、長期合宿みたいな感じ?」
「なんだ、それ。」
「一度きりの人生だぜ。伸るか反るかの大博打、打つのにあの人以上の相手はねえって。」
「はあ?」

押しても引いても、そよとも靡かなかった男が手の平を返したように棲家を捨てた。これまでほいほい他人を招き入れていたのが、一夜にして間借りする立場に転じたのである。実は、カカシと同様のことを口説いた恋人もこれまでにいた。けれど結局その実現を成し得なかった彼らは、今回のイルカの躊躇のなさに目を丸くし、そして訝った。イルカと会おうとするなら必ずこちらから行かねばならなかった、あちらから会いに来てくれたことなどついぞなかったのに、と。
「お前、カカシ上忍に何か弱みでも握られたのか?」
「面白そうだし拒む理由がねえ」とイルカは釈明した。そうしてカカシの怒涛の売り込みは実を結んだのであった。


それから、カカシは束縛の激しい恋人というよりは、寄宿舎の厳しい寮長のように予め常識的な規則を叩き込み、「判断に迷うときは逐一俺に聞け」という方式をイルカに浸透させた。また、「俺が不在のときは、聞いた俺がどんな顔をするのか想像して選択しろ」と教え込んで彼の認識の変革を徹底させていった。

二人は喧嘩をすることもあった。
イルカの主張は大抵、「無視するな」であった。話し掛けられたという意識がないカカシに無視した覚えはない。なのに、独り言を言っていると思っていた恋人が、気付くとむくれているのである。
一方、カカシは、例えば「我が儘」と苛立ちを剥き出しにした。イルカには悪気がなく、何が我が儘に当たるのかを分かっていないことが多かった。
イルカの元教え子でカカシの部下に就いたナルトが、両人の住む家に遊びに行きたいと言い出したことがあった。
上忍師の方は、公私混同はしないと言明した。落ち込む少年を見て、元担任の方が拉麺屋ならいいかと妥協案を出した。その件は、結局カカシが譲歩した。
事後報告で十分かと思ってイルカが何の相談もなしに里外任務を受けたことがあった。出発日の直前にバレてカカシに激怒された彼は腑に落ちず、周囲に是非を問うた。結果は、「嫁に何も言わないで里外任務には発たんわ、そんなことしたら飯作ってもらえなくなる」、「決まった里外任務のことを彼女が黙ってたら俺も怒るかな」、「普通、付き合ってる相手にそういう話はしておくだろ。そういう遣り取りが付き合うってことじゃねえの?」という惨敗ぶりであった。彼は不承不承恋人に詫びた。

西日の差し込む部屋でまどろみながら、
「俺だけのものになって。」
いつかと願い、カカシは言った。
「俺を嫉妬させたらね。」
律動的な手付きでチャッチャッと米を研ぐ、それがイルカの返事であった。





7.

イルカは、不満な点が一つもないものの周囲からカカシのことを聞かれると特にここが好きだという点をこれまた一つも挙げられなかった。そう答えると、聞き手は必ず「ハア?!」とそれまでの二倍に声量を上げた。
何度目かでその展開が予測できるようになった彼は、答えてからさっと両耳に人差し指を突っ込んで栓をする。そして、堅い氷霰の如くバラバラと降る「信じられない」、「何様のつもりだ」、「カカシ上忍が可哀想」等々の罵詈雑言が止むのを待った。そのあいだに、
「だったらお前が寝取って、カカシさんに俺のことを捨てさせてみれば?」と内心で、口に出したら火に油を注ぐことになること請け合いの返答をしていた。

「貴方のここはなんだか鍵のない部屋みたいだけど、俺しか入れないで。」
イルカの左胸に掌を当てて、カカシがそう頼んだ夜もあった。

カカシはイルカを抱いた後、汗を流すと言って逃げ込んだ風呂場で声を殺して泣いたことが何度もあった。
自分のことをじっと見詰めてくる人に、触れる。抱き締める。
好きな人と目を合わす。恐れることはないと己に言い聞かせる。
木ノ葉の白い牙と呼ばれた忍の眼光は峻酷で、向き合う者の心臓を切り付ける鋭さをしていた。父の顔を何気無くは、直視することが出来なかった。その冷たい瞳が、脳裏でちかちかする。
彼の頭の中は色んな対が崩れて、くちゃくちゃに縺れた糸屑みたいに交錯した。
イルカの眼差しは力強いが怖くない。怖いものではないと、逸らしたがる心を叱咤してその双眸を見詰め返した。
本当に、この混濁に打ち克てなければ生きていられないと胸が張り裂けそうになる刹那もあった。結局先代の末路をなぞるのかとぼうっとする合間もあった。

「俺を特別扱いしてよ。」
「断トツでそうしてるつもりですが。」
イルカはこれまでの恋人からも同種の要求をされてきた。ないがしろにされていると憤慨される度に、その人が愛しているのと等しい分だけ愛してくれなければ承知できないという見返りを望む様な愛にも付き合えなかったし、何もなくても愛してくれという無償の愛にはもっと応えられなかった。ところが現在、その彼は二つ返事で重複する家財道具をあっさり処分し、カカシの決めた規則に大人しく従って生活しているのである。
何故これまでの人達とは協調しなかったのかと問われても、これといった理由はない。何故あの男の言うなりになるのかと問われても、これといった理由はない。ただ、そうなのだから、そうなのである。カカシと他の人間と何か違うかと尋ねられてもイルカには、強いて言えば雰囲気、という返事がやっと思い付くくらいであった。
しかし、彼は巧みに言い表わせないもののカカシの愛の求め方が他の人間と決定的に違うということには気付いていた。厳格な統率者のようにイルカの私生活を律する一方で、「なんで、なんで」を連発する五歳児と好い勝負をするくらいに些細な行為の出所を追究してきたのである。

初めのうちこそ忍の習性の迅速さで完璧に避けられていたが、イルカが立ち上がるついでになんとなくあやす手付きで彼の頭にぽんぽんと手を乗せると、
「なんでそんなことしたの?」と聞かれた。
気軽に彼の傍で胡坐を掻くと、
「なんでここに座ったの?」とまた聞かれた。
特別に扱われることをせがむ癖に、「今日はどんな一日でした」と構えば「普通」と素っ気無く答える。そこで、「何かいいことはありましたか」と追撃してみても、カカシからは、
「なんでそんなこと聞いてくるの?」という決まり文句を返されるのである。
風邪を引いたと言うから仕事終わりに寄った薬局で風邪薬を、どれが効くのか判じ兼ねて適当に何種類も買って帰った時だって、一緒に飲めと薬剤師に薦められるままに買い足した栄養薬液の小瓶とそれらをざっと机に広げると、
「これって……心配してるから? 愛?」
という確認をされた。
カカシは何かに付けて、「愛?」と聞いた。イルカは大雑把に「そう」とか「愛、愛」と返していた。










-続-
8.〜9.>