単発text11_2
此処に眠る。

- 既往

<1.〜2.
宙の音色で這う蝸牛



3.

「はい、これ。」
「あら、いらっしゃい。なんですの、これ。」
カウンターの中へカカシが差し出したのは、取っ手の付いた紙製の化粧箱だった。火ノ国の南部界隈で有名な菓子店の名が印字してある。山深い自里から広大な森林地帯をずんずん北へ進むと、大国である火ノ国の主要都市の一つに抜ける。その街に、プリンがうまいと評判の店はあった。
大人気の商品でたちどころに売り切れてしまう。僻地に住む里人に限らずとも手に入れるためには、朝から並ばなければならない。開店に合わせて夜間に移動し、日持ちのしない生菓子に強い衝撃を与えないよう気を配りながら忍の脚力と集中力でもって慎重かつ迅速に里へと蜻蛉返りをきめれば、それを賞味期限内に口にすることが可能となった。そこで、奮発した手当を含む大枚を握らされ、しち面倒な外出届を一筆したためたうえで真っ暗な森に放たれたのは、隠密部隊として暗躍していた時代にしょっちゅう組んでいたカカシの後輩だった。
「差し入れかしら。」
「いいや、『いい思い』のやつ。」
「……、……あ。」
やっとその語呂に思い当たった女は、遅蒔きながら目を丸くした。
「あれ……去年の秋口じゃありませんでした? そうですよね。禁帯出の閉架図書を、秘密で貸してさしあげた。あの時にした取引のことでしょう。」
「きっとおいしいよ。」
「お待ちになって。そうじゃないの。」
「ん。」
「あれから来館なさったって、こうしてお話していたって、何もないまま今日まできたんですもの、私すっかり御破算にされたとばっかり思っていたのよ。」
「ウン、なかなか思いつかなくて。遅くなったね。」
「まあ、ずっと考えていて下すったの。」
ぴかぴかに手入れされた爪を箱の腹に彼女が当てた。
「それで、わざわざこんな遠くまで?」
「アー、いや……。」
カカシは仔細をつまびらかに語るのが億劫になって頭を掻いた。
ところが、水平を保って運ぶのにどれほど骨を折ったかと訴える不満顔の後輩から手渡された白い箱を、カカシから渡された女は二、三を数えるあいだに迷いを捨てて小声で、
「お気持ちは嬉しいわ。さぞかし大変だったでしょう。けれど……そうじゃないの。私、これは頂けません。」
と、きっぱり受け取りを拒んだのだった。
「い……ア、子羊の骨付きモモ肉の方が良かったですか。」
「貴方と一度、外で会ってみたいんです。」
「…………、…………は?」
がらがらの図書館は、時が止まったようだった。



今度私とデートして下さいと申し込まれたところで、墓穴を掘っていたことを、はっと正気付いたカカシは知ったのだった。
「それで、どうしましょう。」
「はあ。」
「俺に、一度だけデートして下さいって言うんです。」
(木ノ葉隠れ最強の忍が、いともたやすく付け込まれやがって。)
イルカは、辺りをミモザ色に照らして黄昏の涼を兆す夕日のゆらめきを見ていた。
「あれがヘリウムと水素だなんて、信じられますか。」
そして、もう一度言った。
「信じられますか。」
彼がこうした厄介事を持ち込むのは初めてではない。平生は、たんに雑談からちょろとこぼれるぐらいに話されていた。イルカはそのつど、善良というなまくら刀でコメカミを撫でられている気分だった。

唐突にもちだされた天体の話の意図は汲み取れなかったが、それでもカカシは、主導権を争わないでごく柔軟に従った。
「俺は、本当にそんなことがあるのかと自問すると精神がもたないから、そういうこともあるんだ、と思うようにしているんです。」
「信じられない。」
それは太陽の感想か。それとも、もともとこの一言を吐き捨てたかったから始めた話だったのか。一向こちらを見上げないイルカの態度はひどく曖昧だった。
「……それは、嫌味ですか。」
「知りませんよ。自分のケツは自分で拭いて下さい。ただし、妊娠しちゃったとか言われて責任取らされないようにしねえと。」
「イルカ先生、食事をするだけでは孕みませんよ。」
「カカシ先生はぼうっとしてっから。粘膜接触したら、俺はもう絶対に許さねえっすよ。」
「俺がそんなことをする男だと言うんですか。」
「…………。」
イルカは僻み根性から嫌みをいう狭量が情けなくて、惨めだった。

カカシはもてるのだ。その人柄をいろどる正直さと抜け目のなさや、うぶと如才ないやりくちのインバレンスは天賦の配分だ。ようするに、彼がみずから進んで粉をかけて回っているのではない。
そう了解していても、挫けそうになるものはなる。篝火の煌めきに自然と魅かれて焼け死んだ蛾が、イルカの脳裡で虹色の塵になった。


相談者は、返ってこない音よりも相手のうなだれたことが気になった。ひらりと地面に着地し、身を屈めてようやく視線を合わせる行動を取る。
「あ、先生、すみません。」
込みいった心情のゆえとはつゆ知らず、カカシは黒蜜を髣髴させる瞳の光に慌てた。そして、つい強まったこちらの語気が彼を怖がらせてしまったと誤解した天然の女殺しはなるたけ優しい調子に改めて、宥めた。
「泣かないでちょうだいよ。」

はなはだしい勘違いからきた慰めはまるでなぶられているようで、これにはさすがのイルカもかちんときた。
「誰のせいだ」と、胸倉を掴んで元を正してやりたくなる。泣いたというのも早とちりだ。
(冷えたビールを枝豆で、と思っていたのに。)
あまりに甘ったるく、それでいて人を食った言い草に、他の欲求のほうがいっきに喉の渇きを追い抜いていった。





4.

早めの夕食を外で摂ろうとしていたのを変更し、イルカは、カカシを自宅へ押し込むように招き入れた。
まんまと餌食になった人が履物を脱ぎ終わらないうちに、後ろから抱きしめる。
「ちょ、ちょっと、なに……。」
マスクを頤に下げて唇を奪い始める。困惑して距離を取ろうとする獲物を離さず、狭苦しい玄関で接吻を続けながら器用にイルカも己の半靴を足首から振るい落とした。
「我慢できねえの。」
日中閉めきってあった室内の空気は暖まっていてなんだか重たく感ぜられた。
「暑いから、離れて。」
「ヤだね。」
「待って」という制止も聞き入れなかった。

カカシは交合なんかより断然、神聖視しているものが別にあった。肉欲にどっぷり浸かった至極人間的な歓談にはもとよりついてゆけなかった。大事なのは生殖器よりも、手の平なのだと主張したかった。
好みと意思が合えば人肌に触れもしたが、他人と手と手を合わせたり、絡めたりするのは苦痛だった。潔癖でもなんでもないのにどうした訳だか彼は、いつのまにか手の平を信奉するように成長していた。しかし、その特殊な感性を理解し得た者はいまだかつて一人もいない。変人と笑い物にされ、それでも男かと馬鹿にされ、嘘吐きと決めつけられたうえで、気取りやがってと嫌われて終わる。劣等感と孤立感で生成された薄い膜はそんな世間をやんわり遮蔽した。
「危ないでしょ、急に……。」
「脇があめぇんすよ。」
弱腰の抵抗を強硬な熱意で押し返し、密着したまま奥へと上がる。平らなところへ肢体を落としたがる彼に許したのは背を壁に付けることだけで、イルカのほうが膝を折った。


激しく強引に記号を貪る。
追い詰めてやりたかった、むしゃくしゃしていた、夏の虫みたいになれたら本望だ、雄の性を暴いてその先でよじれているものを見たかった――原動力はなんと偽装したってかまわない。ねちっこく攻めて理性を取り上げてから、上目遣いで赤くぬめる舌をちらつかせた。
「デートしててもさあ、下半身が疼いたら、帰ってきてよ。」
「イルカ先生、その目つき、怖い。」
俺は今、どんな顔をしているのだろう。笑っちまう。
イルカに、頬の裏肉を噛む癖がでた。

男根なんて大嫌いだ。笑っちまう。大人なんて大嫌いだ。笑っちまう。幼い良心を粉砕するにとどまらないそれの、何年も経ってからもたらされる真の意味の醜さ! それでも強く生きろという空っぽの要請!
さあ、闘争の始まりだ。捨て身の超克に悶絶する時間だ。
「ねえ、カカシ先生。俺たちは、ここに居て、ここに居るなんて言いきれない。形而上学じゃなくて物理学としての話。粒子の濃度の話だよ。……いつかさ――。」
生涯のどこかで、俺の話を聴いてくれなんてひざまずく日が来るだろうか。いいや、そんな芝居がかった披瀝は気休めにもならない。滑稽だ。
鞭打ち刑にも似た行為への没頭こそが救済だった。
「いつか、何?」
「なんでもない。……楽しいね。」
貴方の恥を守ってやりたい。貴方の欲を叶えてやりたい。これは、罰だ。

イルカの目は、心が震盪するたびに涙で濡れた。感じるなんてものじゃない。拒絶と快楽のうらはらに全身全霊が引き千切られる。救いと、矛盾の罰だ。
ねっとりした、生きる気力に与えられる凝縮された新たな意味の味は生臭かった。










-続-
5.〜6.>