単発text11_4
此処に眠る。
| - | 既往 |
| <5.〜6. |
| 宙の音色で這う蝸牛 |
7. カカシは余計な種をまく。恋の種を、乙女の心に撒いてまわるのだ。悲しいかなそうして生った実は例外なく青いままボトリと落ちて、片恋に終わる。すべての悲劇は、みずからをしがない忍び稼業の男としか捉えていない彼の、率直な人となりと気軽な接し方に端を発していた。 それもこれもイルカにしてみれば、うっかり本音をこぼしてしまう馬鹿正直さと軽率な言動が仇をなしているのだと思われた。それで先日、苦々しいささくれをチクチク、チクチクと重ねて深めていたイルカの堪忍袋の緒がついにブチンと切れたのだった。 「アア、もう、思い出すだけでアッタマくる!」 「で、殴ったのか。」 「ンなことしねえっすよ、って、いやもう、あんな野郎のことなんか知るか!」 「かっかするな、時間がかかる。それで、あいつは今どうしてるんだ。」 「知りませんってば。あンのぼんくら野郎。昨日、なんか言いに来たけど書類受け取っただけですから。俺もう会わねえっつったもんだって。機械的に喋っただけで顔も上げなかった。」 「もんって言うな、気色悪い。で、他の奴との逢引きをけしかけておいて知らん顔って、お前、頭沸いてんのか。」 「け……、断りゃいいじゃん! 俺の気持ちなんかどうだっていいんだよ、あの人にとっちゃア!」 カカシの私生活上の迂闊さにほとほと業腹だったイルカは、だしぬけにズボンのポケットから財布を取り出した。 それから、ひらいた小銭入れをじゃりじゃりとかき分け、探り当てた小さな物をものすごい剣幕で空中に投げ捨てた。 「ウラァ!」 「おい。」 「あんな奴もう知るか。別れる!」 壁にこちんと当たってどこかへ落ちたそれは、象のしっぽとやらが巻かれた指環だった。 溝に沿ってぐるっと嵌め込まれている細い紐のような、太い糸のような黒っぽい線が本物なのかどうか、イルカには判らない。象を間近で見たことがないからだ。かつて幼い日に一度、サーカスの上段席から長い鼻と太い胴を観覧したことはある。しかしながらしっぽとなると、形どころかその有無さえあやふやだった。 「駄目だろう、大事にしないと。」 とにかくそうして見失った指環を探しに立ったのは、捨てた本人ではなくイビキだった。 「失くしたら大変じゃないのか。」 「いいんだよ。もう。」 「そうか。」 「そうだい。」 「なら、帰れ。」 「う。嫌だよう。冷たいよう。」 台所の机に突っ伏し、口先でイルカはごてた。 「おい、なんの毛が挟まっているんだ、これは。」 気を削ぐ文句の垂れ方にいちいち取り合わないで、蔓の這いのびるアイビーの奥から銀色の輪を拾いあげたイビキがしげしげと見ていた。 「ああ。毛っていうんですか、それ。象のしっぽですってさ。」 「はあん。カカシがよこしたのか。」 「お互いに嵌めてないですがね。ていうか、もうどうでもいいんですけどね、別れるんだから!」 「そうか、解決したな。」 「ふん。」 「帰れ。」 「え〜、もうちょっとさあ、口角泡を飛ばしてああでもないこうでもないと侃侃諤諤……。」 「ア?」 「ね。後生ですから。」 ぎゅっと目をつむり、額の前でパンと拝む。「曲げてなんとか!」 その動きに合わせて、ひっつめた髪が犬の尾みたいに揺れた。 この家に椅子は一脚しかない。濡れ羽色の毛並みを見下ろしていたイビキは、指環をチャンと卓上に置くと霧吹きを手にフィカスプミラの前へ屈み、室内の鉢植えの世話に戻った。ここの家具は木製が多く、ぷくぷくしたサボテン、黄みがかったポトス、育ったモンステラといった観葉植物に取り巻かれている。ちょろちょろと流水の音も聴こえていた。苔むす流木の沈む水槽に、水草用の照明がぶら下がる。そこの水が循環しているのだ。 「だいたい俺は、痛めつけられても口を割らない奴らの口を抉じ開けるのが仕事なんだ。それをお前、自分からのこのこやって来てなァ、聞いてもいないことをぺらぺら喋られても、こっちの権威が失墜してしまうだろうが。帰りやがれ、商売あがったりだ。そもそもだ、お前と交流を持つ気が、俺にはない。」 方々に置かれた緑は昔より増えていた。 昔というのは、イルカが宿無しになった年のことだ。その夜に両親も、何もかもを根こそぎ亡くしていた。似たり寄ったりの境遇の級友が縁故と善意を頼って、壊滅を免れた区域へ散り散りになった。この時、イルカの間借り先に名乗りを上げてくれたのがイビキだった。 里は事変の後始末でごたごたしていたし、二つしか歳は違わなかったが、彼は小隊を擁する実力を保証された中忍に昇格したてで、その預かりになることは難なく認められたのだった。 「俺の母ちゃんに義理があったんでしょ。詳しく聞いたことはなかったけど。恩人の息子ですよ、ム、ス、コ!」 「恩義があるのはお前の母上にだ。お前ではない。」 「忘れ形見を可愛がれっていう、神の思し召しではないでしょうか。」 「お前が神を語るな。」 「マアそうですね。どっちかっつうと俺も処女より源氏名いっぱい持ってるほうが好きだし。」 「……。」 イビキは汚物を見る目つきをした。彼は七尺もあろうかという大男だ。顔面に残る傷痕の一つは、顎から唇を通って目の横を走り、頭巾で隠された頭部にまで達している。並の人間ならその迫力に負けて尻餅をついてもおかしくはない。 「あ、今の冗談、通じてました? 三次元の話じゃなくて、」 「ここで神を語るな。出て行け。」 げんなりして力が抜けた肩には、阿弥陀仏が彫られている。この家で寝起きしていた当時に、イルカはそれを目撃していた。 「ぶへえ。」 「お前は。いつも何かを言いたげな顔つきでどうでもいい話ばかりをして終わるな。どたまをぶち抜いたところで寒天しか詰まってないくせに。」 「辛辣ぅ。」 「糞餓鬼が。」 「はああ。」 イルカは天板にべたりと貼りついて上体を伸ばした。 (俺の腕から放たれた恋の矢は、果たしてあの人の胸に刺さるのか。) 「……ゼノンに文でもしたためたいよ。」 「誰だそイヤいい、答えるな。訊いてない。」 俺とカカシ先生の隔たりのちょうど中間に地点pがある。矢は必ずそこを通るだろう。地点pからカカシ先生まで、残り二分の一の間にも、また中間地点がある。矢はまた必ずそこを通る。その先にも、その先にも、中間地点はある。さて、それでは無数にある中間地点を通っている俺の矢はいつカカシ先生の胸に届くだろうなどと、彼はぐだぐだするのだった。 8. 雷霆の青白い光が瞼に甦る。 二人して雨上がりの夜気を吸い込んだ。それは無人の暗い教室だった。「ただ、心臓がうるさいんです」。カカシに偽りはなかった。イルカはのんびりやっていくつもりでいた。いつまででも、のんびりやっていけると思っていた。 「俺、最低だ。」 コップを傾けたら氷がカランと音を立てた。一口含むと、お茶というより漢方薬に近い風味が広がった。独特だがいやな苦みもなく、透きとおった黄金色にまろやかな味わいがある。イビキは香草茶を好む。出されたものは、カモマイルという花から作られたものだった。 「一緒に悩もうとか言っておいて、痺れを切らして、苛々して、突き放して……。」 「だからどうした。」 「ぬう……。」 だからどうしたと開き直ってしまえるほど極端な自己本位にも突っ走れない。けれど、だからといって恬淡と生きる彼にも付き合いきれない。イルカは限界を感じていた。 「あーあ。結局脱落組ってことなんですかね、俺も。」 「何からの。」 「他の奴らと同列なんです。」 「何から落ちて誰と同列になったって聞いてんだ。」 「アア俺の負けだ、こんちくしょう。」 イビキはうんざりしている。 「お前はいったい何と戦ってるんだよ。」 「何って……。……にしたってさあ、俺のことが本当に、本当の本当に好きなら、いやそうじゃない、ううん、そういうことじゃなくって……ああ……。」 「うだうだ、うじうじと。酔ってんのか。」 「なんで……、なんであんな、ぼうっとしてるんですかァ。」 「帰れって。」 「だってぇエエ、ぶえぇエエ!」 人間の取り乱し泣き喚く醜態なんぞ日頃から見飽きている男は、大げさな泣き真似とは離れたところで手を濡らし、せっせと水槽の藻を除いていた。失禁していないうちは振れ幅は平常と見なすような、特殊な部署でこの男は働いている。 「あの人の世界観に歩調を合わせるって決めたのに……。強引に腕をひっぱったりしないって、思ってたのに……。」 それから十分ほど経っただろうか。しゅんと静かになった彼に、家の主はやっと声を掛けた。 「あのなあ。イルカ。」 「か、帰りません。まだ帰らねえっすからね。」 「お前、蟻の巣を塞いだことがあるか。」 「え。」 水槽の一角から弟も同然の客の背後へ移って、イビキが霧吹きに水を足す。 「ううん、そうですねえ。餓鬼の頃ってわりと猟奇的だから、あったんじゃないかなあ。覚えてませんけど。」 「蟻の巣穴を見つけて、そこに砂を流し込みながら、地中に住まう蟻どもの気持ちが手に取るように解かったか?」 「え……。」 「むざむざ現生を追われる一寸の虫の声、五分の魂の阿鼻叫喚に共感しながら水を注いでいたのか。」 「……いいえ。」 「それくらい、あいつは他人の気持ちなんか解かってねえんだよ。お前らは成長するにつれて無益な殺生をしなくなっただろう。だが、何年経っても蟻は蟻だ。蟻の側が変わったわけでも、双方ともに変わったわけでもない。お前らの心だけが勝手に難しく働くようになったんだ。詮ずるに、自分が嫌な気持ちになるからやらなくなっただけだ。言ってみればあいつはその図におけるお前、お前はその図における蟻。お前、蟻の『ヤメテ』が聞き取れるようになったから穴を潰さなくなったのか? そんなのは只の想像だろ。」 「あの人に、その想像力がないっていうんですか。でもあの人、小説とか詩とか好きですよ。」 「詩は分からんが小説は、人間の傾向を勉強してるのかもしれんな。」 「創り物で?」 「モデルになる。自分以外の人間――作者とか、大衆とかが、登場人物に期待したところ、承認した描写、そういう意味で与えられた正解として、標準の役目を担える。」 「ええ、そんなんじゃ、何を読んでも感動しなさそう。」 「あいつだって自分の気持ちはつぶさに把握しているかもしれない。行動を制御して目的を成し遂げるためには肝要だからな。だとしても、それを尊重したりはしないだろう。抱く感情を起こす行動に反映させていたら、俺たちの任務は果たせない。」 「忍として長い間やってきてるからっていう部分は……分かってるつもりです……。」 「胸に響こうが響くまいが、どうせ程度の問題に収まる話じゃない。根本の造りが変わってるんだ。だからこんな部署でやってられるんだ。」 「こんな……って、だからイビキさんは、カカシ先生の肩を持つんですか。」 「馬鹿言え。俺があの小僧に肩入れしてなんの得がある。これは、お前を苛めてやってるんだろ。」 「ああハイ、どうもどうも、長居いたしております。」 「……イルカ。お前は、例えば蟻同士の化学物質を使った情報伝達に参加して、砂糖の在り処を突き止められるか。」 「無理。」 「だろ。感情移入を強制されるっていうのはそれくらいの難題だ。どうしてもってんなら、言わなくても解かる者同士で仲良くしていろ。一応言っておいてやるが、共感し合いたいと思っているんだ、あっちだって、おそらく。ただ、そう思う場面も種類も、そっちとは絶望的に噛み合わない。」 「……。」 簾に熱気を砕かれた夕風が、閑寂な趣きのある部屋をさっと刷いた。日に焼けた町のトタン屋根と、のっぽのとんがり杉と、薄暮れの景色を指環の円で覗きながら彼は続けた。 「しかし頭数の勝利を妄信しているたぐいの輩とは馴染まないんじゃなかったのか、お前も。」 「……うん……。」 そうですねと言ったイルカのやけに神妙な様子が、思いがけずイビキの物笑いの餌食となった。 「クッ。一回、仕事から帰ってきた俺が止めに入ったことあったよな。お前、そこの石段下の所で癇癪玉を爆発させてよ、相手をぼこぼこにしてて。ありゃア傑作だったわ。」 「そ、そんな喧嘩、十年よか、もっと昔の恥部じゃないですか。」 「ちょうど漫画みたいにお前の蹴りがきまってるところで……、きったねえ現場で、ああ可笑しい。」 「イビキさん。忘れて下さい。」 「まあ、少数派がもれなく、自分がされているからといってほかの人間を誰一人差別しないなんてことはないんだ。他人から虐げられていたって、同時に自分以外の人間の、自分にはない面に唾を吐く。どう生きたってヒトはさほど上等じゃない。ちょっと上品な面の皮を手に入れただけなんだ。」 それから「話がずれたけどな」と意地悪く、男は悪魔の囁きに興じるのだった。 「合わなきゃほっとけよ、あいつのことは。山の時期に盛り上がっていられるのは当たり前なんだから、谷の時期に支え合えないなら、とっとと解散すりゃいいだろ。お前が泥を被って人生棒に振ることはないさ。お前はお前で仕合わせになれよ。」 そして、上げ下げして波を描いてみせていた指環をピンと上へ弾き飛ばした。硬貨投げの要領で見事に捕らえ、それを差し出す。 「あいつなりに気持ちのこもったモンを渡したんだろうが、これも要らないんだろう。」 手の平に返ってきた堅い輪っかを指先でクルクルと弄るイルカは、口を尖らせた。 「さっぱり分かんねえよ、あの人の気持ちなんか……。」 「お前、それを捨てたよな。」 「……。」 「どこか心の片隅で、何かに満足を感じたから捨てられたんじゃないか。」 「……、……。」 ひたすら仄かに想っていた。 だけどどう足掻いても叶わない、そういう宿縁だったと、関係を断ち切れたら? 少なくとも己を責めずに余生を送れる。 だから、届かないことに満足していたのかもしれない。 そんな気がして、彼は下唇を噛んだ。 「…………、…………、…………十五の時から好きなんだ…………。」 「フン。」 食器棚から下ろしたコップに氷を入れながらイビキが話す。 「象を信仰する国ではな、そいつのしっぽは、持っていると幸運を招くと言われている。」 「……え……。」 「それはそうと、ゴミを投げるな、猿め。屑籠に入れろ。」 「……。」 「もう大博打も打って、あとは静観に徹するんだったか。」 「…………何やってんだ、俺は……。」 「独り言は余所でやれ。人の家でぐじぐじしてないで帰れや。」 「……う……、あと三十分したら……がえ……る……!」 「む、待て、いま何時だ。おう、この時間まで居たなら飯を作って帰れ、飯を。なんでも良い。」 「飯ィ……?」 洟をすするイルカに、霧吹きを持ったイビキは無言でシュッと引き金を引いた。 「ぷあ、何するんスかいきなりー!」 「アァそうか、水分は足りているか。オラ、いつまでもベソかいてないで早く飯にとりかかれ、駄人間。貴様のごとき駄人間がタダで慰められようなんざ厚顔無恥もいいところだ、身の程をわきまえろ駄人間。」 「人の尊厳を根こそぎ刈り取ってゆきますなあ」と受け流し、イルカが冷蔵庫に手を掛けた。 「紅生姜しかないじゃないですか。」 ココナツをくり抜いた器の蝋に安らぎが灯る。炎は壁をいったりきたり淡くゆらめいていた。苛烈な拷問を職務の一つとするいかつい大男の部屋には、似つかわしくない甘い香りが流れていた。 -続- |
| 9.〜10.> |