text18_7
此処に眠る。
| - | 掃除 |
| <10.〜12. | 15〜17.> |
| 蜜しるべ | |
13. 掃除の七つ道具らしき計量杯やら原液、噴霧器やらを武器にイルカは便所に突入したが、一般の家庭以上に格闘する箇所はなく、それは風呂場についても云えて、年の瀬に行う大掃除程度の労力を要したものの、水回りは順調に奇麗になっていった。 頑固な黴やヌメリを覚悟していた彼は、他のずぼらの同窓生を持っていたが、泊ると服より露出していた肌に翌朝赤い斑点がぷつぷつと出て痒くなるからいっそのこと野宿しろ、と別の朋輩が青ざめていた。そして、同様の証言をする犠牲者が後を絶たないものだからイルカは忠告に従い、決して中へは這入らなかった。玄関先で用を済ませ、そそくさと其奴の家を辞した彼が此所を来訪した自らを正当化するには、カカシを依怙贔屓するしかなかった。 男の一人暮らしは大なり小なりそんなもので、小奇麗を保てている方が少数派なのかもしれぬ。それでも、掃除用におろした古い歯ブラシで風呂場の戸口を磨きながら、裏板が天井をむいていた本棚を頭に浮かべて、彼は矢張りあの崩れ方は尋常でないと結論付けた。殊に雑然たる居間は、忍術をしくじって旋風が暴発でもしたかの如き妙な力の痕跡があった。 どれだけ散らかし上手でも、本棚はひとりでに倒れないし、垂直に起き上がった儘の座卓では不便である。真に破綻しているのは、何であるか。 水も床もひんやりとする季節に黙黙と、手を真っ赤にしてイルカはたて続けに水仕事をこなしていった。 カカシは怪我を負っても、私生活が荒んでいてもけろりとした顔をしている。そして、誰の手も必要としていない。 (だから俺には、居心地が好いのかな。) 誰のことも癒したいと思わないイルカはそんなことを考えつつ、タワシでごしごしとタイルの目地をこすっていた。 次から次へ、性格と相性がいいのか身に付いた、家事に関する高い水準の知識と実行力の一部を遺憾無く発揮して仕上げに洗面台の鏡を光らせると、分担した範囲をさくさくと片付けたイルカはかじかむ手足を拭いて部屋の本部に復帰した。 「おお、寒い、寒い。」 「頑張るねえ。厨が使えるようになりましたか。」 「ええ、風呂と便所と、洗面所も。これで水回りは完了です……って、横になってましたか、今。貴方、人がこんなに頑張ってるというのに、随分じゃありませんか。」 「先生も息抜きしたら。急須も復活したのなら御茶にしましょう、御茶、御茶。」 「やってもやってもとんと片付かないのに、休んでる場合じゃないですよ。先ずは寝台を正常化しないと。」 「したあよ。」 カカシは立ち上がると横へずれて、手柄の全容を見せた。空き缶が乱立して連峰か何かかと比喩したくなる、大きな塊でしかなかった寝台は、やっと役目を果たせそうな平面をとり戻していた。 「おお、やったじゃないですか。ちゃんと作業してたんですね。」 「まあね。」 寝所を埋め尽くしていた不燃ごみも可燃ごみも、漏れなく撤去されて敷布団が見えている。 「あれ、カカシさん、掛け布団は?」 「ん、谷に落ちてます。」 イルカの素朴な疑問に応え、カカシが寝台の麓に片腕を突っ込み、上げると、掛け布団が発掘された。 「なに?」 「た、に。そこが通称、谷です。」 難儀な答えを返す彼は大股で擦れ違い、遠くなってゆく。 「カカシ先生。そうやって此の状態を定着させんで下さい。順応しちゃ不可ませんって。」 ぶつぶつ言いつつもイルカは、地形になぞらえて命名された部屋の在り方に釣られた発想という訳でもないが、前前から、便利な人工物に囲まれた生活よりも、自然の制約に則って生きる方が好きそうな、いざとなれば未開の野山でも生き抜けるのであろうタフなカカシの、柔和で物静かな雰囲気を裏切る本性から目が離せない。それは、ヒトが忘れたいから蓋をするのか使わない裡に腐らせてゆくのか知れない、動物であるという、揺るがなさである。居酒屋で宛てがわれた席に収まる平常はどことなく退屈そうで、川べりや野みちを拾い歩きするとき、市街から離れれば離れるほど彼の体も心も伸び伸びとして見えた。 (『無人島に一つだけ持って行けるとしたら貴方は何と答えますか』。あの俗受けする問いに俺は『カカシさん』と答えたいが、人間というのは禁止なのだろうか。) 続け様に、街なかの花屋で売られている華やかな胡蝶蘭や、リボンを掛けて花束にされた色とりどりの生花を思い浮かべる。それから、人の目に触れようが触れまいが大地に咲く、野生の山百合や野薔薇を思い浮かべる。交情を深め、カカシは後者と同種の美点を具えていると感取するとイルカは密かに、彼らの宿す最も根源的な力強さを愛でたのであった。 さて、冬のストーブと夏の扇風機が隣り合って出しっ放しになっている台所に立ったカカシは、戸棚を開けて茶筒を漁った。ぴかぴかになった計りの一角で湯を沸かし始めた彼の歩行を真似て、腿を高く上げ追随したイルカはその側を離れず、首を伸ばして主人の肩越しに手元を覗き込んだ。 「ね、カカシ先生。いかがです、使い心地は。」 「うん。」 「良いでしょう。」 「ああ。」 「そこ、俺が担当したんですよ。新調したみたいな輝きを放っていると思いませんか。」 「そうだね。」 「前との違いが顕著でしょう。カカシ先生があっちでごろごろしている間に、俺が一人でぴかぴかにしたんですよ。風呂場も見ます? あ、便所も。見違えるほどで、洗面台の鏡面なんて吸い込まれそうなんですから。こっち、こっち!」 「そこいらは、そんなに汚れてなかったでしょ?」 「う……。」 ずるけていた身であり乍ら暮らす当人が事実を素っ気無く返すと、肘を引っ張っていた人は急に力を抜いて項垂れた。 「そうですが……。」 悄気返る様子に、此の際に恩を売っておこうと云うせこい目論見等は一切なしに、誉められたいと云う単純さを認めた彼は少少慌てた。 「あ、有難う。ええと、大変良く出来ました。凄く助かります。」 服を引いた指の過剰な血色は挺身を示唆していた。目の当たりにした深切を無碍にする積りはない。評価と感謝の定型を咄嗟に思い付いた順に述べ、なんとか機嫌を取ると、 「そうでしょう?」とイルカが、今度は反り返って得意気になりだすものだから、忍犬使いでもある男の目には、 「まあ、後でたんと実感して下さい、はっはっは。」 と胸を張っている無邪気が、命じた仕事を遣り遂げて駆け寄ってきた契約犬と重なって映った。 「ところでこの敷布は、洗濯しないでも大丈夫なんですか。」 「大丈夫。死にゃしないって。」 「……木ノ葉が抱える闇は深い……、そうだ、掃除しているあいだは布団を物干し場に干しておくというのは、名案じゃないですか。」 カカシはこれを受けて親指で玄関を指した。 「物干し場が空いていたら、服だってあんな所に干しませんよ。」 それで、辿り着いた、谷の向こうの窓をガラガラ開けると、パンパンのごみ袋が何個もイルカの目に飛び込んできた。下半分の擦り硝子がそれを隠していたのである。 「此処も、なのか。」 ともあれ窓は開けておき換気するとして、居間の中央へと引き返した彼が、「うお」と声を上げた。カカシが目を遣ると、慌てて取った塵紙で足元の絨毯をタンタンと叩いている。 「こかして仕舞いました、済みません。」 「ああ、いい、いい。」 「て云うか、なんで机すら機能してないんですか、零したことは謝りますが。」 「まあ、どこかしらに平らな面さえあれば凌げる訳ですから……。」 そして今、平らであるという理屈が、絨毯敷きの床に直置きしてあった湯のみを蹴倒すという事態を齎した。仮にそれが毎日の食事の皿であったとしても、問題の核心は客の不慣れと不注意の次元に留まるのであろうか。 「ううん、如何いえば伝わるのかなあ。」 「斯うやったら作れます。」 空気を水平に薙ぐ無造作な手の動きで私生活の不健全を如実に見せられたイルカは、腰に手を当てて呆れて仕舞った。 「だから、作れるか作れないかっつう話じゃねえんだよ。」 カカシは自由に転がれる広さになった寝台の上で胡坐を掻いて茶を啜る。大掃除と大規模な片付けに、彼は飽きていた。従って、「この後、一旦家を出て金物屋に行きませんか」という働き者の提案に、一も二もなく「賛成」と飛び付いた。 「いいですね、出掛けましょう。ちょうど午です。何か美味しい物を食べに行きましょう。」 「浮かれた御出掛じゃねえ、要る物の買い出しです。か、い、だ、し。飯で釣ろうったってそうはいきませんよ。昼は弁当にでもして、真っ直ぐ帰ってくるんです。」 「ええー。もう充分やったでしょ。」 「どの口が言うんです。」 「あのさあ、イルカ先生。アンタ、こんな事してて楽しいの?」 「楽しいですよ。実に片付けがいのある魔窟だ。」 そうして助っ人が笑ったので、部屋の住人としても午後一杯この作業を続けなければ済まなくなった。 二人は道中、物干し場を埋める膨らんだごみ袋の山について話し合った。 「あれ、分別済みでしょう。あとは出す丈じゃないですか。」 「言うは易く行うは難し、ってね。昼夜逆転の不規則生活に入ると途端に日を逃すし、そもそも其の指定の曜日がうろ覚えなんです。ほら、何曜日は普通ごみだとか、缶なら第何週の初めだとか、細々と決まってるでしょ。俺、一時的な記憶の保持に極端に弱くて、数字とか固有名詞とか、具体的なものは興味が無いと物の数分で霧散するのよ。」 そう言ってカカシは、きゅっと集めた五本の指先をぱっと散開させた。 「回転は速いのに。」 「不便なんだよねえ。」 そこで思い付いたイルカは返した。 「冊子があるでしょう、区役所で配ってる、一覧表の付いた。」 「何処かには有るんだろうけどねえ。」 がっくりした今や掃除部隊主力の彼は商店街で入り用の物を補充した。一方の、戦力として当てにされていないカカシは、寝具屋に新品の敷布を選びに行くという御遣い染みた指令を受けていた。 14. 「頂きます。」 「イタダキマス。」 持ち帰った一個目の弁当を開き、パッと割り箸を鳴らした、勤労の権化は思案顔である。カカシも手渡された同じ彩りの二個目を、同じ要領で口に運ぶ。 「これじゃ日没迄やっても到底終わりませんね。」 「けど、イルカ先生の御蔭で寝る場所も出来たし、台所も使えるようになったよ。」 「それを維持しなきゃ、あっという間に元通りなんですよ。」 「そう、それが難しいんだよねえ。」 「でしょうねえ。」 腹が満たされると、馬力が尽きないイルカは再び精を出した。 目に付くごみは粗方拾い終わっていたので、両名は居間の、ごちゃごちゃしている物の正体が何であるかの確認作業を始めた。といっても懶惰な持ち主は、自力で片付けた寝台に愛読書と寝そべり片手間で解説する役である。 「なんだ、これ。置物? 皿か?」 よいしょ、とイルカが持ち上げてみたのは、盆の様な、飾り物の様な、長方形の重たい硝子細工であった。表はつるつるしており、洗練された細かい彫刻が裏面の随所に施されている。 「果物なんかを盛る、皿ですかね。そこそこ高い物なんですよ。」 「値段の話ですか。」 舞った埃に対してかカカシの態度に対してかは判然しないが、彼は眉根を寄せていた。 「ええ。昔、極西紛争地域にあった小国に派遣されたんだけど、外との開戦間際に内輪でクーデターが起こってね。国内が最悪の状勢に陥ったんです。そしたら、俺達の任務内容も日を追って不透明になってきて。タダ働きは出来ないので総員引揚げが決定したんですが、『その際、国内で所持していた通貨を国外へ持ち越すことは禁止だ』と彼等に宣告されたんです。信じられないのが、其迄の報酬も所謂とっぱらいだったって事。」 「え、帰還してから貰うんじゃなかったんですか。」 「その場で、だったんだよ。彼方さんの都合でそうなったのに、そのうえ『どんな事情の金であれ、びた一文持ち出し不可』の一点張りでね。」 「そんな。どうしろってんですか。」 「いかにも、おいそれと承服は出来ませんでした。が、交渉したところで折り合いの余地も無く、最終的に個個人で現物に変えて持ち帰ったんですよ。そんな馬鹿な話があるかって、こぞって不満タラタラでしたけど、公的機関の瓦解した現地ではそうするしか手がなかったんです。」 「そりゃとんだ災難でしたね。そして重いですね、これ。」 「ツテのない外国人が数日内に入手可能な品なんて知れてますからね。俺が其にしたのは、板状で持ち運び易かったから。」 「ふうむ。」 「我々は手を引く流れに乗り遅れていたというのもあって、稼ぎがそっくり其の一枚に化けたんです。」 「成程。これは?」 いきさつを承知したイルカは曇ってしまっている硝子の大物を慎重に下ろすと、今度は大きい石の様な物を持ち上げた。 ま、小隊規模だったからウチは大損失を被らずになんとか、と苦苦しく思い出を甦らせていたカカシは、水牛が描かれた丸い物体の説明もしてやった。 「其は、駝鳥の卵。風ノ国との外交に裏……アー、暗部時代に随行した、帰りに買ったの。」 「ちゃっかり土産を手に入れるとは。」 それを安定させる台座はイルカの探査の網目から抜け落ちた。 「それじゃ、こっち。」 次に彼が取ったのは、手の平で包める位の小箱である。 「ああ、久し振りに見た。」 「これも任務先で入手した物なんですか。表記が外国語だ。」 黒地に金色で刷られた文字が洒落ている。 「氷海近くの酒です。希少価値が高くて、高級品として知られているんです。凍った葡萄で造るんだってさ。それが面白くて購入したはいいけど、飲み口の甘ったるさがどうにも苦手でねえ。」 「ええ、勿体無い。」 「そこにあったんだ。」 ふんふんと聞くイルカはしゃがみ込んで、ごそごそと紙袋の中を掻き分けていた。 「これは……女の子の人形? こけしみてえ。これも外国土産ですか。」 瓢箪型した木製の玩具をカカシに見えるようにして、答えを仰ぐ。 「あ。先生、開けてみて。」 「開くんですか、これ。」 調べると胴回りに線がある。上下にぱかっと割れた中からは、瓜二つの一回り小さい少女像が出てきた。促されて更に開けると、また一回り小さくなって少女像、それを開けてゆく度にどんどん小さい像が出てきて、驚いていたイルカは終いには失笑した。 「いれこになってるんです。」 「いいなあ!」 「マトリヨシカっていうの。」 「ああ、名前に聞き覚えがあります、マトリオ……。」 「雪ノ国土産だよ。」 「カカシさんち、いいなあ。俺も欲しいな。最後を百八十度違う代物に掏り替えて、期待を裏切りたくなりませんか。いやあ、おもしれえもんの宝庫ですね。ここいらの地層は、大方任務記念の土産物かな。ううん、……カカシさん、あの四畳に収まると思います?」 玄関の正面にある、朝にカカシが箒を探しに這入ったのはこの一室である。現在は物置きも同然で、本来嵌められてあったのが取り払われた、台所と居間の境の四枚と、居間と寝室を閉て切る二枚の間仕切り戸なんかが放り込まれている。しかし、住人曰く何となくその部屋の存在は忘れ勝ちで、寛ぐ空間が大荒れにも拘らず使い道の定まっていない四畳は、主な二間と比べればすかすかで十二分のゆとりがあった。イルカは取り敢えず諸諸の物をそこへ移す魂胆でいる。 「今日中に?」 「いえ、流石にそれは無理でしょう。」 「なら楽勝、楽勝。という訳で、一休み。」 「又ですか。」 「だって、飽きた。」 「自分の家でしょうが。」 「はあ。よくやるねえ。」 「裁量に一任するってんなら、俺が妥当に整えて上げましょうか。」 「んー、遠慮しとく。」 カカシはイルカの家の理解不能な分類を思い出していた。 「今はその時ではない丈で。」 「今は、って。アンタも、些と働いたら如何です。」 「そうしたいのは山山なのですが、イルカ先生、一大事です。」 「え。」 「尻に根っこが生えたみたい。」 「……。」 「動きたいけど動けないや。いやあ、参った参った。」 「診ましょうか。悪化したら大変だ。致し方ない、荒療治でも我慢なさいよ。」 「おや、治った。先生の神通力かな。」 それでむくりと起きあがった詐病者は、眠そうにウウンと伸びをした。 -続- |
|
| 15.〜17.> | |