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此処に眠る。

- 掃除

<13.〜14. 18.>
蜜しるべ



15.

空っぽの本棚を起こして午前中に進入が可能になっていた壁にひっそりと貼り付いていた、薄い木の板を引き揚げる、腹を据えたら相当粘り強く事に当たるイルカは、本日もなかなか投げださない。
「うわ、凄え。」
裏返すとそちらが表であった。かなり小さなピイスでびっしりと組み上がった、ジグソオパズルである。
「ああ、……。」
千を下らないピイスの数もさること乍ら其の大判は、手掛かりとなる絵柄の特徴も少なかった。全体から部分を類推するのに骨が折れること必至である天の川の靄が絵図の中心をなし、四隅に春夏秋冬の古星図という布局である。
「完成してる。万人が挫折すること請け合いのもんが。」
「入院してると暇だから。」
「え。」
うきうきと対蹠的な語に、
「ああ、それはまた、何と言うか……。」
星座と神話の結び付きが好きな男の心持ちは上がった分だけストンと下がって一定した。

「ところで、此れはちゃんと額に入れてあるじゃないですか。不精なカカシさんの仕事とは思えませんね。」
「正解。後輩です。其奴が見舞いに来た序でに長さを書き付けてね。合う枠を見立てて、次の時に持って来たの。」
「へえ、甲斐甲斐しい方ですね。」
「頼みもしないのに一人で騒いで、糊付けしたり枠に入れたりしてたっけ。文句垂れるなら、しなきゃいいのにさ。」
「なんです、その無神経な物言いは。そこは穏便な『有難う』の出番でしょう。他にもなんだかんだと迷惑を掛けてるんですか。」
「ハ? 世話してやってんだよ。俺の方が。あれやこれやとね。それに、俺は結構思い遣りのある先輩だと思いますよ。」
「ふうん。」
「……。あれ、若しかして、嫉妬してます?」
「してるように見えます?」
カカシはすっと片目を細めた。視線がやや尖る。
「見えませんね」というその判定と、顔を見合わせていたイルカの、
「御免なさい、猛烈に焼き餅焼きました」という訂正がかち合った。

「否、違うな。」
「物凄く焼いてたでしょう、ね。」
「いいや。」
「明らかに焼いてましたよ、俺は。」
「違う。」
「カカシさん、どんぴしゃ、焼き餅です。」
「アンタはこれっぱかしも妬いてない。」
なら聞くなよと、内心憎まれ口を叩いたイルカは失言による自業自得の気不味さを味わった。


「はあ」と溜め息をつく非協力者は、結局定位置の寝台で胡坐を掻いている。
「……はあ。」
始めは特に気にしていなかったイルカも、何度目かの当て付けがましい大仰な「はあ」が遂に耳障りとなった。
「はあああ。」
「ああ、もう。さっきからなんなんですか。」
「飽きたんですけど。」
「ア? 誰が散らかしてこうなってんだ。『飽きた』は聞き飽きたわ。終いにゃ張り倒すぞ!」
余計な御節介を勝手に焼いている分際で口が過ぎると制する自身を負かして喝破した、イルカが次に引き抜いたのは、白い筒状の物であった。
「あれ、……絵画?」
七曜表でないのは一目で分かったが手触りに心当たりのなかった其をするすると開き、改めてみるとアクリルガッシュが塗ってあった。

「カカシさん、画布の、ええと、木枠のない絵が出てきました、よ。」
「それね。雷ノ国の。」
「海、ですね。」
「貿易港の街で。地元の若者が、路上で売ってたの。画家志望だろうな。」
じっと其の絵に見入る沈黙に、カカシは気付いた。「どうかした?」
「これって、その土地の景色ですか。」
「ええ。」
ぐっと湾曲した海岸沿いに、栄える都市が燦然と煌めいている。離れてある明かりは沖に停泊する船団で、ちらほら浮かぶのは客船か漁り火であろう。眠りを知らない街から溢れた光が沿海に滲んで揺れている。それらの後ろに黒い山脈が走っており、画面の過半を占める空と海に、深い青が使われていた。
黒と青が溶け合う、夜景である。鑑賞者の目を引きやすい夜の光耀が却って自問自答の思索にいざなう青の、凄みと透明感の階調を引き立てている、とても静かな印象の作品であった。

「折角買って帰ったのに、飾らないんですか。」
「当初は飾る気でいたよ。けど、その絵に合う額を探す時間がなかったから。」
「適当に見繕っちまえば良いのに。件の後輩に御願いするだとかしてさ。」
「不可ません。さっきのは暇潰しの名残でしかないから、如何でも可いんです。此れは、俺が気に入って、しかも此の絵に合うという二段階の合格を受けた額でなきゃ嫌。縦横の寸法が幾らぴったりでも、妥協した額に入れる位なら其の儘で置いた方が好い。」
「ああ……、然うですか。勿体無いな。」
それの最後に添えられた評価は、カカシの好きな声遣いであった。「良い絵ですね。」
「そうでしょう?」
思い掛けなく恋人の声が弾んで、イルカは苦笑を隠した。
「イルカ先生もそう思う?」
「憚り乍ら。」
「本職か素人か、有名か無名かなんてそんな背景は如何でも良いことなんです。高いだけの名画に用はない。俺は此の一枚が唯気に入った、その直感的な私見が肝要なんです。」
「いつか、似合いの額に此奴が納まる日が、来ると良いですね。」
「ウン。」
それからイルカは煮えきらない己を室外へと退場させた。





16.

窓辺が塞がっている物干し場は、横長の造りをしていた。収集日を待つほかないごみ袋をせめて隅に寄せようと考えたイルカは、はたと動きを止める。其の顔がみるみる引き攣った。この長方形の舞台こそが、彼の正念場だったのである。
半ば無意識的に気配を絞って消すと、そっと屋内に向き直り、イルカはひそひそ声で思い切り叫んだ。
「大変です、カカシ先生!」
非常事態の急報か。異変を察知するや否や部屋の主はサッと身構え、耳をそばだてる。
「鳩が……!」
「……?」
「物干し場に、鳩がいます!」
「……なんだ、そんなこと。」
すわ何事が起こったかと思えば取るに足りぬ一報であると、知れるが早いかピンと伸びていた背筋は脱力して、くたっと猫背に沈着した。
「毎朝空が白けると、ポッポ、ポッポと鳴くんですよねえ。」
「鳴くも何も、だって、飛来してるんじゃなくて、巣が……!」
「はは。」
「笑ってる場合ですか。」
混乱気味のイルカは大声で、追加報告をはっきり伝えた。
「物干し場に、巣を作られちゃってますよ?!」
出合い頭から間合いを見極め合って下手に動かず、一人と一羽は互いに緊張感の均衡を保っていた。さもなければ、ひょっとしたら、この鳥の間の抜けた鳴き声は其のとろさに即しているのかしらん、イルカが腕を振って巣を指した瞬間にようよう慌てて翼を広げ、鳩はハタタタと向かいの屋根へ逃避した。
「うおお、吃驚した、オメェ飛ぶのかよ!」

「来てたんだ」と動じないカカシは、狼狽える彼に返事した。
「前から知ってるし、そんなこと。」
「し、知ってたんですか。」
「ええ。」
「その上で?」
「アァ」と応答がぞんざいになるカカシは、何回訊くのかと思っていた。
「なに許容しちゃってんだ、撤去しなさいよ!」
鳩はちゃっかり、持ち運んだ小枝や藁で作った巣の上に鎮座して居たのである。それを了承済みの男は泰然としていた。さしものイルカもこれには参った。


街頭に立ち、百人のうちで同じ悲劇を見たことがある諸氏は挙手、と尋ねたら、さて何人の仲間と握手が出来るのであろうと思うイルカは、
「ああ、こりゃ駄目だ、排水孔の上に築城してやがる。これじゃ水捌けも悪いでしょう。」
占拠場所の悪さにも目を覆い、いや一人も居まい、と自己の気持ちを強調した。
「甘いなあ。」
ズボンのポケットに両手を突っ込み窓枠に寄り掛かる変人は、ちょいと顎を動かして催促した。「もっとよく見て下さい、巣を。」
「え……、」
じりじりと巣との距離を詰めて刮目した、
「……ええ?!」
イルカは目を疑った。
「カ、カカシ先生!」
「ええ、イルカ先生。」
カカシと出逢わなければ、そして親しくならなければ、ほかの誰かとの付き合いで同じ目に遭うことは無いと断言して差し支えない現場の只中に己が居るという甚大な衝撃を受けた、其の彼に対してカカシはどういう思惑があってのことか、にやりとして頷いた。二人は、第三者からみて噛み合っているのだかいないのだか判らない関係のうねりの中を、自然に任せた呼吸と息継ぎで泳いでゆく。

「ちょっと、アンタ……。」
「ふふ、気付きましたか。」
「きゃつら、卵まで産んでるじゃないですか!」
「そう。単独じゃない。番いどころか世継まで。奴等どっかりと居据わって、定住する気満満なんですよ。で、最近は俺も、ぼちぼち大目に見てられないなあという気がしていたような、いないような。」
「事態はもっと急を要するところまできています、真剣に考えてください。幸せなポッポ夫妻に家族が増えたら、一家を立ち退かせるのは益々至難になるんです。自家の庭にというならまだしも、この部屋、賃貸でしょう。勝手に物干し場で鳩を飼っては不可ません、あまつさえ増殖っつうか繁栄っつうか、兎に角勝手はならんです!」
「ううむ。餌はやってない、とはいえそれもそうですね、ちょっと傍観が過ぎました。」
目視可能の圏内で逃げおおせた鳩は、トタンから動かない。帰ってくる潮時を見計らっているのである。
(公園でも並木でも、そこいらじゅうにあるだろうが。なんでカカシさんとこが良かったんだよォ。)
背に腹は代えられない。イルカは瞑った目をかっと開くと、険しい面持ちで苦渋の決断を下した。
「……撤去します。」
「そうだよねえ。」
この時の鳩の巣騒動は、その後も尾を引いた。十代の頃は工作部隊に所属していたイルカが、専門と趣味を兼ねて培った技術を活かして簡単な罠を拵え、帰巣行動をとる動物の、一番重要な本能に訴え掛けて彼等には御帰り願うこととなったのである。





17.

鳩が飛び立ち、地上の茂みに巣を移転して、物干し場に一先ずの収拾がついた。
晩秋の空に筋雲が走る。動転のドタバタにも一段落付いて、今度こそ嵩張るごみ袋に手を伸ばしたイルカは、下敷きになっている何かに気付いた。落ちていたのは、部屋にあって然るべき音盤や文房具といった雑貨の類である。彼は円盤の挟まる薄汚い厚紙一枚を摘まみ上げて、窓際に居る所有者に仔細を尋ねた。
「見て下さい、これ。色んな物が締め出されているんですが、カカシさん。」
「ああ、初期の地殻変動で。」
「だからその壮大な表現は止めて下さいってば。」
表紙の印刷が退色した音盤や、変形した種種の文房具の表面は、長期間放置されていたことを物語る埃と水滴の跡で悉く汚れていた。
「窓を開けた時に雪崩れて、ああ、雪崩れたなとは思っていました。」
「ああ雪崩れたな、じゃなくて。分かっているならその場で取る行動があったでしょうに、何故なおざりにするんです。」
「いやあ……。」
そんなこと言われても、とか何とか歯切れの悪い答弁をしつつ頭を掻いたカカシによって、
「ま、頑張って。寒いんで、ここ、閉めますね。」
突如窓はピシャン、と閉められて仕舞った。粛殺の風がイルカにびゅうと吹き付ける。
「ちょ、なんで閉めるんだよ、畜生! 根こそぎ捨てっちまうぞ。」
それでも彼は、周囲のごみもとい風雨に晒され傷んだ雑貨の回収を始めた。特別業腹な仕打ちに耐えているというでもない。どうやら好きな子は苛めたい性分であるらしいことは心得ている。イルカの心情としては、同種の傾向にある自分とは痛み分けだという感が強かった。さりとて一概に堪忍袋の緒が太いと見るは早計で、切れどころが特異なのである。彼もまた変わり者扱いされている所以が、ここにあった。

一方、室内のカカシは、硝子の向こうを見詰めていた。
――あんまり汚かったら、一寸見て上がらずに帰るんです。
冷やかしだなんて、どの口が言ったのか。
やっている感じを出して手を抜くことも出来たろうに、イルカは率先して人が一番やりたくないところを引き受けていた。それは、水仕事から帰ってこない朝の時点で――もしかしたら、もっと昔から――明らかであった。
(畢竟貴方は打算的に創られちゃいないんだ。)
カカシは、此の男からの全幅の信用が欲しいと思った。
(生粋の天邪鬼が。尽くして呉れるなら、俺も全力で貴方の最善を切り拓いて見せるよ。)
視線を感じたのか、不意に振り返ったイルカと目が合った。カカシが微笑むと、その胸中を知る由も無い戸外の男にはそれが大層悪辣に見えたのかして、顔を顰めて舌を出された。
「人がきりきり舞いしてるさまを、窓越しに……高みの見物か、内は温いか、この外道!」
讒謗された男は愉快で仕方がない。いわく付きの左目を封じてある素顔が、美しく歪んだ。


程無くして「うげえ」と声を上げたイルカが、ガラガラと勢い良く窓を引いた。
「カカシさーん! 大概にして下さいよ!」
「なあに。」
平和な空間に籠って何をしているのかと思えば、苦情もどこ吹く風の彼は熱心に故紙を折り折り、滑空機作りにうち興じていた。木ノ葉の里にはこれという飛行戦術がなく、本物の滑空機を装着して風遁術で上空から戦局を動かしてくるのは他里の十八番であった。彼は折り紙で、其の形を模していたのである。出来上がった一機を、手首を振って勢いつけた手から放す。ひゅうと飛んだ其は高度を下げながらすいすい進んで忙しそうなイルカの太腿にトンと当たり、はらりと窓際に着地した。空気を上手く切れている。実地の成果にカカシは握った拳をぐっと引いた。
「なに遊んでんだ、内の片付けを進めろ、そんなんだから散らかるんだろうが、この似非紳士が!」
「紳士……、悪くない響きだ。」
「似非だっつってんだろ、耳の穴かっぽじいて前半もよく聞いとけ。そんでもって、こっちは虫!」
「はい?」
「幼虫が湧いてんの!」
鳩の巣によって堰き止められていた排水孔では雨が降ると水が溜まったのであろう、ごみ袋と接触している地面はなかなか厳しい様相を呈していた。その惨状を目撃すれば、おまけに、この放擲した態度を見せつけられては、婦女子諸姉の百年の恋も冷め切り、里の誉と仰ぎ見ていた男子諸君の夢とても破れるは必定、支持率のガタ落ちは不可避である。

「有り得ない難局に立たされてるんですけど、こっちは。」
働き者は、洗面所の水道と物干し場をばたばた行ったり来たりした。午前の部では「飛び蹴り食らわせてやろうか」とか「ぶっ飛ばすぞ」と脅してカカシの御守を務めていたが、壁に付いた鳩の糞やら、毒の沼地みた様な緑色のぬめりやら、満を持してのお出ましとなった害虫やらが立ちはだかる、魔界の最難関箇所を攻略する今に到ってイルカは、恬然とした彼に充てる余力を最早失していた。
「おやおやイルカ先生ったら、大はしゃぎですね。」
「バケツが要る。」
殺伐として目もくれなくなったものの、見境なく逆上するでもない男を、カカシは興味深く目で追っていた。
「よし、俺も応援して上げます。ガンバレー。」
「やかましいわ。水だ、水!」
「うわあ、さぞや過酷なんだろうねえ。そこに手を付けるのって何年振りだろう。」
冷血な悪魔が面白そうに気の毒がっているのを、生身の人間は黙殺した。


物干し場を立ち直らせると、のっそり傾いた日をまともに受けていて西向きの窓であったことを知る。イルカはハア、ハアと肩で息をしていた。ぴゅうと吹く秋の終わりの風も寒くなく、体は汗ばむ程であった。
「物干し場、完了……!」
「終わったのかい。御苦労様。俺も貢献しましたよ。」
奈落から生還したイルカが部屋を眺めると確かに一応は取り組んでいたようで、替えられた真っ新の敷布はぴんと張っていた。
「はあ。まあ、うん。」
「俺、一所懸命、がん、ばっ、たん、ですけど。」
台所で臆面もなく褒め言葉を強請られた御返しである。学齢期から早早と大人社会で生きてきたカカシの氷塊の如き心は、二人限でいるイルカの熱意に一日当たっていた所為かじんわりと緩んでいた。
「俺はそれよりも遥かに頑張ってました」という切返しでは味気ないとして、遊び心を加味したいイルカは採用しなかった。
「ああ、そうっすね。エライ、エラーイ。カカシさんなりに頑張ってましたよね。」
「ふふん、そうだろう。」
遣っ付け仕事で褒められて、男は満更でもない様子である。
「あからさまな社交辞令で満足ですか。」
「やり直せって言ったら、もっとどうにかなるのかね。」
「なりませんな、どうにも。」

イルカの旺盛な探究心が、カカシの塒を突止めた。
何もかもが惹かれてゆく契機となった。どれをとっても嫌う糸口とはなり得なかった。
(好き放題にする俺を、余り図に乗らせないで欲しい。)
斜光が部屋を赤く染めている。
彼は、カカシの懐で逡巡を余儀なくされていた。










-続-
18.>