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此処に眠る。
| - | 掃除 |
| <15.〜17. | 19.〜20.> |
| 蜜しるべ | |
18. 少憩を挟んでから、机の脚を床に着け、天板も設置した。 「何だ、ここらのごみは。」 未曾有の煩悶と錯乱のさなかにカカシが取っ散らかしていた紙切れや小物を、イルカが拾い集めていた。 「あ。」 「捨てますよ。」 「駄目です、それは、取ってあるんです。」 「取ってあるったって……」と言い返しつつ手の中に注目する。 映画の半券。居酒屋の箸袋。喫茶店の燐寸箱。拉麺屋の宣伝ビラ。日付や店名はどれもこれも、二人が会っていた日時や場所を示していた。それで彼は、足下にほっぽり出されていた棒についても折畳傘であるという断定が出来た。云われてみれば、その深い緑色に見覚えがあったのである。 二人の交遊の始まった日、空はどんよりとしていた。 這入った居酒屋では、連れが席を外した隙にカカシが箸袋で箸置を折っていた。 素直に接近すればいいものを、席へと忍び寄り、戻ったイルカは、慌てて隠されかけた手仕事をさっと取り上げておいて、気さくに俺にも作り方を教えて下さいと友好的な笑顔をみせた。 じっとしない手癖がばれた人は、ではそれを開いて良いから其方の一枚を代わりに頂戴と答えていた。 「……。」 「……。」 軌跡の証を蒐集していた彼は、目下のところ不機嫌であった。しかし、丹念に細心の観察をしていれば判る。カカシは打解けて気が抜けると、感情と表出がちぐはぐになることが増えるのである。詰まり、嬉しいときに顔を曇らせ、怒りが込上げてくると溌剌とし、悲しいときには笑うと云うから、楽しいときには恐らく泣きそうな顔をしている。険悪な顔つきで声を低める彼は、照れていた。 「返して下さい。」 「……。」 無言の思考の行方に耐え切れなかったかして、硬化する気配にそぐわぬ目元の赤みは忽ち耳をも冒してゆく。 「記念、品を持ち帰る習慣が、ある丈ですから。」 「どうせ取っておくなら、もっときちんと保管すりゃ良いのに。」 なかには住所を走り書きしたイルカ自筆の紙片もあった。彼は捨てる候補からそれらを除外し、脇へ遣ることで赤面の直視を避けた。さもなくば組敷いて仕舞いそうだったのである。 「それが出来ればこんな部屋になってない。」 「至極御尤も。」 双方が肩を竦め、浅薄な言葉を交換した。 垣間見てしまった相手の一途さに、イルカの胸は絞られたように痛んだ。何故誰も死力を尽して彼を傍に留め置かなかったのか。何故自分と逢った時に、以降もずっと、彼の隣は空いているのか。カカシとの相思相愛を貫けなかった歴代の恋人達をイルカは恨んだ。 「俺、今日はそろそろ帰らないと。」 座布団の付近に転がっていた目覚まし時計は、枕元へと置き直されていた。そこに伏せられていた写真立てに関しても、序盤でイルカの躊躇に居合わせた部屋の主が、 「気になりますか」と事も無げに表にして終わっていた。 つるべ落としで陽は沈み、夜が刻刻と降りてくる。部屋の灯は何時の間にやら点いていた。 「帰るの?」 「明日又来ます。」 「そんな非効率的な時間の使い方って、ある? 帰って、何が待ってるの。」 「……何も。」 「明日も片付けたいんなら、うちで寝れば。」 「可いんですか。」 「こんな現状で良ければ。」 抽斗は開きっ放しで、其処此処から物がはみ出す押入れの折れ戸も閉まるに至っていない。 「部屋は、今日一日ですっかり見慣れてしまいました。それに、朝来た時よりは大分人間の棲み家に近づきましたよね。」 「うん、手伝って呉れたから凄く捗った。」 「では、もう一頑張りしますか。」 「は、正気?」 音を上げないイルカはまたぞろ身近の物を手に取り、継続の素振りをみせた。 土ノ国に、建ち並ぶ低い塔の風車が巨大な羽根を回す、雄大な風景の名所がある。この地方は、土地の名が冠せられた陶器の生産地としても名高い。それは白地に緻密な青色の線画を着ける焼き物で、実用的な皿小鉢や茶器類は勿論のこと、美術品、特徴的な建築様式をかたどった小さな民家の置物も、盛んに作られていた。調味料瓶大のその陶器製民家が四、五個かたまってある、横のがらくたに、即ち我が里で商品を買う度に附いてきたオマケの数々に、彼は目を付けたのであった。 「これ、要ります?」 「ちょっと、それ、捨てることを前提にして聞いてますよね。」 がらくたを鷲掴みにした手は、口を開けたごみ袋の真上にある。 「要る。要るから、それ。」 「対抗心だけで言わんで下さいよ。」 「マア、要らないっちゃ要らないけれども。」 「ハイ、お役御免。」 イルカは処分を断行した。尤も、彼もそれなりに疲れていて本腰を入れる気は無かったらしく、最後は間に合わせに、水ノ国諸島産の伝統的な布を被せた。独特の紋様と技法で染められた更紗は、民族衣装を仕立てる生地なのだとカカシに聞いた。 視覚的な認識を忌避するイルカとは少し異なり、カカシの場合は、他人に物を触られたり場所を動かされたりする、直接的な侵害を嫌っていた。が、彼はイルカの手出しを容認した。 彼にとってイルカは、興味をひく世界観の持ち主で、危な気に彷徨う行人で、鮮やかな造花やきらきらした硬貨を飛び出させるみたいにおかしなことをぽんぽん創出する仮面の手品師であった。それに、断続的な浅い眠りしかとれない己を驚異的な睡魔に襲わせる魔法使いであり、足手纏いの拘りを弛める不思議な、春の水の如き人でもあった。 そうした真実にカカシは言及しない。 何にせよ彼らは、近くの饂飩屋の暖簾を潜り、腹を満たした。物干し場で外気の寒さを、当初は肌身に感じていた方は温まる饂飩を啜った。 季節感など歯牙にも掛けないもう片方が選んだのはざる蕎麦であった。湯気の立つものは冷ますのに時間が掛かるから大して好きでもないと言う。 「好きな食べ物は」と質問してくる広報部の取材記者にうんざりして、「第一食堂の、本日の日替わり」と言い残すと姿をくらまし、後日に自身の好物欄に記載された「秋刀魚の塩焼き、茄子の味噌汁」を読んであの日の献立の秋らしかったことを知ったと暴露して、彼は平然としていた。 「ありゃ出鱈目ですよ。」 本日の、という言い方は食堂の受け売りである。入口で必ず目にしていた『本日の日替わり定食』の文字は、注文したことのないカカシにとっては「ホンジツノヒガワリ定食」という、一連なりの言葉として覚えられていた。 「俺の好物は、んー、小麦粉と豆腐とトウモロコシです。」 なんだその珍妙な答え方は、と思ったが検討を始めると饂飩が伸びて仕舞うので、イルカは只「へえ」と相槌を打っておいた。 帰り掛けに寄った夜間営業のよろず屋で、一人は泊るのに要るものを買い足した。一人は棚をぶらぶら一巡りしていた。 「御邪魔します。」 玄関で履物を揃える彼にカカシは好奇心をくすぐられた。 「毎回言うね。」 「カカシさんは言わないんですか。」 「そりゃ俺の家だもの。」 「そうきますか。他所で。」 「行かない。」 「なら、我が家だったら、カカシさんは『只今』ですね。」 「ううん、餓鬼の時分から無人だし、そっちもおよそ言ったことがない……あ、こういう、ええと、場所で。」 「……アー、じゃあ、御帰りなさい。」 「え。ああ、これはどーも。タダイマ。」 カカシがぺこりとお辞儀を返すから、冗談混じりの会釈をしていたイルカはククと笑った。 「腹黒い笑い方をするんじゃないよ。」 「面目なーい。」 平凡から浮彫りになる生立ちにやわな同情をしない彼の、感情移入してこないところがカカシには殊のほか楽であった。ナルトが聞けば俺の為に泣いて呉れたと反論するであろうが、それだってこの男からすれば後悔という、どことも連絡の無い心の働きであった。病院帰りの愚痴話を辛抱し抜いた彼であるからこそ、そう言い切れた。 一番風呂に浸かったイルカは髪を下ろしていた。それにしても、湯上がりの彼の雰囲気は明らかに変質していた。一口で言えば、何十もの皮を脱ぎ捨ててきた末の幽静を湛えていた。カカシは此の彼を知っていた。 酩酊か、夜の闇か。密室。季節。幻影。行き摺りの距離。 (そう云えば冷蔵庫に貼付いて、風呂に入るんだとクダを巻いていたね。) その出現条件を割出す調査は半年の間、地道に行われていたのである。 「先に頂きました。」 「ん、ああ。」 「……。」 「……。」 寡黙へと豹変した人の自制心は、見るからに脆弱化していた。カカシはそれを、水没寸前の堅牢な要塞と表現しておいた。 間もなく順番を譲った家の主も脱衣所から出て来た。逆立つ癖の強い毛は濡れて後頭部の丸みに沿い、雫がぽたぽた下へと伝っている。 「何。」 平生精彩を欠く風采の彼が香油でも塗って総髪に整え、正装でびしっと決めたらどうなって仕舞うのであろうと、一種同性としての妬視を禁じ得ないイルカは、縦傷の中央に嵌る赤い瞳よりも、無防備な額と顕現した頭蓋骨の曲線に気を取られていた。 「別に。」 ばりばり活動する姿を一日中眼に入れていたせいか、誰にも聴こえない旋律に耳を傾ける緩慢さでぼうっとして、天下のしがらみは押し並べて如何でも良い風な態度で応じる彼が別人に見える。カカシは、会いたかった人に漸く会えた心持ちがした。 家の主人が寝間へ立つと、戸口で停まった男は形式張った客の顔で、 「では、御休みなさい」と声を掛けて引き返した。そうして絞った居間の灯下で、絨毯に体を横たえようとしている。手の掛かる奴だなと思いつつ誘導しにカカシも戻る。 「其処で寝るとか言わないでよ。」 「俺は此処で大丈夫です。」 「……。」 「座布団を御借り出来ますか。枕の代わりにしたいんです。」 道理と建前からこの人を攫うなら今のうちである。 「貸さないよ。」 イルカは上体を捻って、真っ黒な目で見上げた。 「貸さない。おいで。」 カカシは、数歩先に立ってゐた。 -続- |
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| 19.〜20.> | |